巨人に「2人の坂本勇人」で登録名はどうなる…同姓同名で球団が大混乱に陥ったことも

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 巨人の育成ドラフト6位の唐津商・坂本勇人捕手が11月16日、支度金300万円、年俸360万円(いずれも推定)で仮契約を結び、今季通算2000本安打を達成した同姓同名の内野手・坂本勇人とチームメイトになった。過去にもNPBには、同一チームに同姓同名選手が在籍した例がいくつかある。これらのケースでは、どんな登録名を用いて両者を区別したのか、振り返ってみよう。

 まず、1971年の西鉄・高橋明のケースから紹介する。前年まで西鉄は、69年に入団した外野手の高橋明が唯一の高橋姓だった。ところが、71年に同じ外野手の高橋二三男がドラフト1位で入団。さらに巨人で通算56勝を挙げた右腕・高橋明が2対2の交換トレードで移籍してきたことから、高橋姓が一挙に3人に増えてしまった。

 高橋二三男は「高橋二」と表記すればOKだが、問題は“2人の高橋明”だった。実績面で勝り、エース格でもある投手の高橋明を、巨人時代と同じ「高橋明」にすることに異存はないとして、もう一人の高橋明はどうしたらいいか。球団はアイデアに頭を悩ませ、本人も「オレは一体、何と新聞に名前を書いてもらえるんだろう」と困惑した。そして、最終的に外野手のポジションにちなんで「高橋外」になった。

 この苦肉の策とも言うべき不本意な登録名に発奮したのか、「高橋外」は同年3月5日のヤクルトとの練習試合で、西井哲夫から2回に同点弾、3回に決勝3ランと2打席連続本塁打を放ち、4打数3安打4打点の大当たり。改名を機に存在を大きくアピールした。だが、シーズンが始まると、9月26日の東映戦に代打で出場し、三振に倒れたのが、唯一の1軍出場記録。翌72年は一度も1軍に上がることなく、戦力外となった。くしくも、投手の高橋明も同年限りで現役を引退している。

 2人の高橋明が球界を去ってからちょうど10年後の82年、今度は阪神に“2人の佐藤文男”が在籍することになった。

 ポジションはいずれも投手。先に入団した佐藤文男は、72年に近鉄にテスト入団、77年に39試合登板し、6勝6セーブを挙げるなど、主にリリーフとして活躍した。その後、肩を痛めて出場機会が減り、81年に金銭トレードで阪神に移籍していた。

 ところが、翌82年、センバツ準優勝投手になった印旛高のエース・佐藤文男がドラフト外で入団。同姓同名の右腕2人の登録名をどうするか、球団側は「思わぬことで頭を使わせられる」と対応に苦慮することになった。

 当時の『週刊ベースボール』によれば、当初は「佐藤A・B」「佐藤新・旧」などの珍案も出たそうだが、最終的に10歳年長の先輩を「佐藤文」、ルーキーを「佐藤男」と表記し、場内アナウンスでは、どちらもフルネームで呼ぶことになった。

「一時はどう呼ばれるのか不安だったけど、ま、妥当なところだね」と安心した「佐藤文」だったが、同年は1軍登板の機会のないまま退団。「佐藤男」もわずか2年で自由契約になり、その後、ロッテで2年間プレーした。

 ちなみに、ロッテには内野手の佐藤健一と佐藤薫、外野手の佐藤和史が在籍していたため、登録名は「佐藤文」になったが、前年には投手の佐藤文彦もいたので、もし在籍時期が重なっていれば、阪神時代同様、「佐藤男」の可能性もあった。

 この「佐藤文」「佐藤男」の前例を生かしたのが、86年の日本ハムだ。81年のドラフト1位右腕・田中幸雄は、もう一人のドラ1右腕、田中富生と区別するため、「田中幸」と表記されていたが、86年に同姓同名の内野手・田中幸雄が入団してきたことから、阪神の例にならい、「田中幸」「田中雄」と名前の上下で分けて表記することになった。「田中幸」は190センチの長身にちなんで「オオユキ」と呼ばれ、「田中雄」も184センチとけっして小柄ではなかったが、「コユキ」のニックネームでファンに親しまれた。

 入団当時の田中雄は「同姓同名の先輩に追いつけるよう努力します。自分のセールスポイントである強肩を生かして、1日も早く1軍に上がりたい」の抱負を掲げ、1年目にプロ初安打を本塁打で飾るという鮮烈デビューを果たした。90年に「田中幸」が中日に移籍した結果、「田中雄」は「田中」になったが、92年に外野手の大内実が田中姓に改姓したことから、今度は「田中幸」に。前出の佐藤文男とともに、名前の上下両方で表記されるレアなケースとなった。

 ちなみに、高校野球でも同姓同名選手が同じ試合に出場した例がある。94年夏の佐賀県大会3回戦では、唐津西高の2年生左腕・小形祐介と3年生右腕・小形祐介が2番手、3番手で登板し、同姓同名の別人の継投という珍事が起きた。当時の新聞は、「小形2」「小形3」(※数字は〇に2、〇に3)と名字に学年の数字を加えて表記していた。

 背番号「6」の坂本勇人のように「超一流選手を目指せ」という阿部慎之助2軍監督の発案により、背番号「006」でスタートすることになった坂本勇人捕手。登録名はまだ決定していないが、佐藤文男や田中幸雄の前例から、「坂本勇」に対し、「坂本人」、または名前のみの「勇人」が有力視される。「田中雄」からスタートし、“ミスター日ハム”としてチームの顔になった同じ九州出身の大先輩に続くことができるか、期待したいところだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月26日掲載

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