「正義中毒」が蔓延する社会をいかに変えるか――中野信子(脳科学者)【佐藤優の頂上対決】

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脳内化学物質セロトニン

佐藤 『ペルソナ』にもありますが、中野先生は社会が押し付けてくる正義や健全さに一貫して違和感を表明されています。印象的なのは「正義中毒」という言葉です。これは中野先生の造語だと思いますが、いつから使い始めたのですか。

中野 今年の初めに『人は、なぜ他人を許せないのか?』という本を出しましたが、もともとはバカ論を書きませんか、というお話でした。誰かをバカ呼ばわりする時に、ヒトには独特の高揚感が生じるようである。その生理的機序を考えているうちに、これは「集団バイアス」に関係していると考えるようになりました。自分たちは正義、他の集団は貶(おとし)めていい、というバイアスです。そうした現象は世界中に見られます。

佐藤 それがさまざまな紛争の元になっていますね。

中野 私はバカという言葉が好きではないので、この現象についての本を書かせてくださいと掛け合いました。そして「正義中毒」という言葉に行き当たったんです。

佐藤 そうしたらコロナがやってきて、マスクをしないと糾弾したり、お店を開けているだけで嫌がらせをする正義中毒が次々と出てきた。自粛警察なんて、まさに正義中毒です。

中野 だから何か予言の書のようになってしまったのですが、コロナ以前から不倫バッシングや不用意な発言の炎上は多々あって、ずっと続いていることですよね。

佐藤 年々、そうした現象が激しくなっている気がします。

中野 私はネットと自然災害によって加速したと考えています。ネットは多様に見えて、嫌なものはスルーできますね。SNSは、言ってみれば「同じ意見の繭」です。そうしたツールが広まる中で、観測史上初めて、というような大きな自然災害が次々に起きた。そこでは共同体の絆が強調され、一丸となって支援することが求められました。そこに同調できない人は、悪になったわけです。

佐藤 危機には同調圧力が高まります。

中野 危機に直面すると、正義のありどころがわからなくなるので、自分の正義を振りかざして、社会を守ろうとするんですね。でも危機ではそれぞれの正義が分散します。だからスーパーでお惣菜を買おうとしただけで、見知らぬおじさんから「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われてしまう。その人にとっては、母親がお惣菜を買うのは、些細なことでも不正義です。いまは、そういう現象がどんどん起きている。

佐藤 中野先生はこうした現象を脳からも説明されていますね。

中野 セロトニンですね。精神の安定や安心感の源となる脳内化学物質ですが、集団形成にも関係し、ネガティブエフェクトとしては、妬みの感情も強めるようなのです。これは社会の維持に大きな役割を果たす一方、そこから逸脱する者を懲らしめなければ、という感情を引き起こします。

佐藤 それがバッシングになる。

中野 人間は共同体に一定の貢献をし犠牲も払う一方で、利益を享受しています。そこにただ乗りするフリーライダーを許さない。それでバッシングが生まれますが、日本人はその傾向が強い。ただ日本人はセロトニンの量を調節するセロトニントランスポーターの密度は低いんです。これに関しては、まだ見つかっていない別の要素があるのかもしれません。

佐藤 正義中毒現象はまだまだ続きそうですね。

中野 いまがどれだけ不安定で、社会のリソース(資産)が減っているかという証拠です。実はもう豊かでない社会を生きているんですよ。自分よりちょっと得をしているだけでも他人が許せない。

佐藤 それを皮膚感覚でわかっていたのが公明党ですね。10万円の特別定額給付金は初め、所得制限をつけて30万円給付で進んでいました。でも例えば年収250万円で線を引いたら、260万円の人はものすごく怒りますよ。そうすると社会の分断がより深刻になる。それで彼らが覆した。

中野 どんな金額でも所得制限すれば、反発は避けられないでしょうね。

正義は戦略でしかない

佐藤 中野先生は、フリーライダーたちに、人々が惹きつけられてしまうことも指摘されています。

中野 彼らの多くはダークトライアドと言って、代表的なのはサイコパスです。脳の内側前頭皮質の活動が活発でないという特徴があります。集団の価値基準や同調圧力を意に介さず堂々と振る舞うので、あたかもその人の基準が全体の基準のような印象を与え、一部からは強い支持を集めます。

佐藤 いわゆる社会のトリックスターやボーダー(境界性パーソナリティ障害)、ヤクザの中にもいるでしょうね。みんな、周りを巻き込んでいく特殊な能力を持っていますから。

中野 社会のリソースをうまく掬(すく)い上げられますから、社会で要職にあったり、企業のCEOになる人も多い。彼らに付いていくと、自分も得をすると思わせる何かがある。

佐藤 だからフォロワーがいる。

中野 短い言葉をうまく使って人を感動させたり、敵をいなしたり、洗脳とまではいかなくても支持を取り付ける特殊能力があります。それは規範から自由だからそう見えるということもあります。

佐藤 女性にもモテますね。

中野 女性はサイコパス、マキャベリスト、ナルシストの3要素を持っている男性に惹かれやすいことがわかっています。まさに不倫相手となる男性たちです。彼らは「新奇探索性」に富み、性的にもアクティブですから、その遺伝子を広く拡散する。女性にしてみれば、ダークトライアドの男性との子孫を作れば、その子孫もあちこちでその遺伝子をバラまきますから、効率よく自分の遺伝子を残せるわけです。

佐藤 遺伝子に支配されている。

中野 彼らの魅力に抗えないのは、脳の中の古い皮質が私たちに指令を出しているからです。でも、そもそも結婚の形態は、ある地域に生きる集団にとって、そこで最も繁殖に適した形がスタンダードになったものにすぎません。それは一夫一婦制も同じです。実は私たちが「倫理的」ととらえているものは、ごく最近になって形成されたのかもしれず、不倫=悪というのも、一夫一婦制が定着した後に後付けで広まった概念と考えたほうがいいと思います。

佐藤 正義についても同じことがいえますね。

中野 その通りです。正義も別に不変でも普遍でもなく、ただ種として生き延びるためにビルトインされた戦略のひとつにすぎません。

佐藤 そこが中野先生の思索の核心部分ですね。

中野 もちろん正義は重要ですが、そこだけを強調してしまうと、過剰に自責的になる人たちが出てきます。私はポジティブ心理学が苦手で、一定の効果はありながらも、かえって鬱になる人を生み出したと思います。その反動により、ネガティブ感情の意味を考える研究が進んできました。

佐藤 これから中野先生ご自身は、どんな研究をするつもりですか。

中野 グループ・ダイナミクス(人の行動や思考が集団から影響を受け、逆に集団に対しても影響を与える特性)に興味がありますから、集団の意識について、心理学からリサーチしてみたいと思っています。

佐藤 具体的にはどの部分を掘り下げようとしているのですか。

中野 集団の意識を定量化することで、価値や意思が決まりますよね。まさに民主主義は民意の定量化の仕組みです。

佐藤 その基礎にはみんな同質で同じ存在というアトム的な人間観があります。

中野 でもほんとは違いますよね。能力も取り巻く環境もみんな違う。さまざまな人がいるのだから、定量化でない意思決定の方法が必要です。

佐藤 それはファシズムに近くなりませんか。

中野 ファシズムに行かない方向での仕組みは、もう思いついているのですが、どう説明すれば誤解を生まないか、考えています。民主主義でもファシズムでもないところで、集団の中の民意をどう拾い、どう未来に活かしていくのか、そこを考察していきたいと思っています。

中野信子(なかののぶこ) 脳科学者
1975年東京生まれ。東京大学工学部応用化学科卒。2008年同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。08~10年、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRIセンター)に勤務。15年より東日本国際大学教授。テレビのコメンテーターとしても活躍する。『サイコパス』『不倫』『悪の脳科学』『空気を読む脳』など著書多数。

週刊新潮 2020年12月17日号掲載

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