レーサー「星野一義」が日本一速くなれた理由 「誰よりも臆病なんだ」(小林信也)

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モータースポーツの地位

 星野にはもう一度、人生の転機があったという。80年代にホンダがF1を席捲し、日本人ドライバーの出現が待望された。その時、白羽の矢が立ったのは、星野でなく中嶋悟だった。

「悔しかった。年齢で外された。F1の道がないなら、ビジネスでもチャンピオンになろうと決めたんだ」

 走る傍ら、80年に設立したホシノインパルの商品開発と営業に本腰を入れた。40年後のいま、インパル仕様のコンプリートカーは全国の日産販売店で購入できる人気ブランドだ。だが星野はまだ満たされていない。

「文化としてのモータースポーツの地位が日本では低いでしょ。それが本当に悔しい。ヨーロッパでは、サッカー選手よりF1レーサーが人気も年収も上だよ。

 日本の経済を世界レベルに押し上げたのは自動車産業でしょう。車がなければ先進国の仲間入りはしていない。なのになぜ、モータースポーツは軽視されるんだろう。16歳でバイクの免許を取っても高校で禁止され、乗れば不良みたいに言われる。その扱いは何だろう」

 あらゆる怒りが星野の生きるエネルギーだ。

「オレにはレースが学校だった。大切なことは全部レースが教えてくれた」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2020年11月19日号掲載

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