”連れ去り”の闇、3年間、毎月19万円を妻に払い続けても我が子に会えない男の苦悩

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“パパと会うとママは苦しくなっちゃう”

 だが、事態は解決に向かうどころか、悪化していくのである。17年12月から始まった離婚調停は、3月に不調で終了。一方、面会交流調停のほうは、遅々として進まなかった。

「2カ月に1度くらいの頻度で裁判所に通うのですが、妻側は『子供が会いたがっていない』と頑なに主張し、面会交流を認めませんでした。私は妻側の主張がまったく理解できませんでした。会って、子供たちに危害を加えるわけでもない。連れ去るわけでもない。なぜ妻がそこまで態度を硬化させるのか」

 ようやく9月になって、家裁の調査官が子供たちの意向や心情を調査することになった。調査官は、まず妻宅を訪問、その後、家裁に呼び出すという手順で、子供たちに2回、聴き取りを実施した。だが、翌月開かれた調停で、報告書を手にした野崎は愕然とする。

「長女は『一番いいのはパパの性格が変わって、5人で喧嘩しないで暮らすことなんだろうけど、それは無理だと思う』と。長男も次男も『パパと会うとママは胸が苦しくなっちゃう』と、面会交流に否定的な話を調査官にしているのです。それを踏まえた調査官の意見は、『間接交流が相当と考える』という結論でした。調停員も、『面会は難しい。まずは間接交流から』と強い口調で誘導してきました」

「家裁は事務的に作業をこなしていただけ」

 間接交流とは、すなわち手紙のやり取りである。夫は月に1度だけ子供たちに手紙を出せ、受け取った妻は、子供たちが返事を書いたら返信する。加えて、妻は3カ月に1度、子供たちの写真を夫に送る。それが妻側の合意案だった。この条件を蹴れば、調停は不調に終わり、審判に移行する。

「調停員は畳み掛けるように『もし審判に移行したら、月1回の手紙も、もっと減らされてしまうかもしれませんよ』とプレッシャーをかけてきました。私の弁護士も、『手紙を出せたほうがまだ目があるだろう』と。結局、私は、プロたちがそう勧めるなら、と合意してしまったのです。が、これが大きな失敗でした。一度、調停に合意してしまうと、ひっくり返すことが難しいのです」

 なぜ失敗だったのか。答えは冒頭で伝えた通り、交流とは名ばかりの、一方通行の文通になってしまったからだ。野崎は家裁に騙されたと憤る。

「結局、彼らはただ事務的に、作業をこなしているに過ぎません。私が最後に子供たちと会った2月、彼らが私を嫌がっている様子などまったくありませんでした。息子に至っては、『もっとパパと遊びたい』とすがりついてきた。それがなぜ、パパに会いたくないと変わってしまったのか。調停が続く間、長時間、私たちが引き離されてしまった影響だと思います」

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