7回忌を迎えた「高倉健」 「実妹」も「チーム高倉」も呼ばれない異様な密葬の光景

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5人の列席者

<故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました>
 
 と所属事務所が公表したのは昨年11月18日のことだが、葬儀は12日、渋谷区内の代々幡斎場で営まれている。

<【密葬】身内の人たちだけで内うちに葬式を済ませること>(新明解国語辞典)

 よく知られるように健さんは4人きょうだいの2番目で、兄と上の妹はすでに物故したが、一番下の妹である敏子さん(80)は九州在住。

 そして彼女を含む健さん以外のきょうだいには、それぞれ2人ずつ子供がいる。すなわち、健さんから見れば甥や姪にあたる人たちだ。とはいえ、彼らに対してその時点では、健さんの死さえ伝えられていない。
 
 その代わりに、密葬に列席を許された人物を明かせば、島谷能成・東宝社長、岡田裕介・東映会長、田中節夫・元警察庁長官、老川祥一・読売新聞最高顧問、そして降旗康男監督の5名。

 煎じ詰めると、“身内”と呼べるのは血のつながらない養女ひとりだったのだ。

「みなさんは故人となった父の遺志で特別にお呼びしました。今後、父の供養をやっていくにあたって、バックアップをお願いしたいと思います」

 彼らに対してこう語りかけた養女には、50歳に達してなお美貌の女優であった名残があり、ひときわ目立つ顔全体を覆うベールからもそれがうかがえた。

 その一方で列席者に当日のことを問うと、押し並べて、「ノーコメント」(老川氏)などといった対応をするものの、

「彼らのなかには健さんに“娘”がいたことをそれまで知らなかった人もいたし、“なぜ自分が呼ばれたのだろうか”と戸惑いを隠せない者もあり、ある種、独特の空気が流れていました」(芸能関係者)

健さんが弟分として可愛がった小林稔待さんが入っていない

 これを聞いた映画関係者によると、

「そもそも監督以外は、健さんと縁が深いとは言えない方々。『近親者』と事務所が言うのなら、たとえば、健さんが弟分として可愛がった(小林)稔待さんが入っていないというのはなぜか。あるいは、岡田さんは健さんと絶縁状態だったんですから、そんな席に呼ばれるはずがありませんよ」

 映画評論家の白井佳夫氏によると、岡田会長の父・茂氏の時代に話はさかのぼる。

「岡田茂は、“不良性感度の高い映画をつくる”としてヤクザ映画路線を推進した。ただ、70年代半ばを過ぎると世の中の波長と合わなくなっていく。それを肌で感じた高倉健は任侠路線から離れたいと主張して岡田茂と衝突、76年に東映を退社するに至ったのです」

 健さんは99年の『鉄道員』で久々に東映映画へ“復帰”を果たしたが、

「あくまでも例外で、今の裕介会長の代になっても両者の確執が氷解することはなかった」(先の映画関係者)

 さて、密葬列席でようやく和解できたという思いが募っていた岡田会長に、“見せ場”がやってくるのは火葬後のことだ。

「岡田さんが骨を口にしようとして、“アチチ”となったんですよ。健さんは母親が亡くなった際に『あ、うん』の撮影中で、葬儀に間に合わなかった。撮影終了後、遺骨と対面した健さんは骨をかじって“これで一緒にいられる”と言った。それを岡田さんは“再現”しようとこころみたわけです」

 とは、事情を知る民放幹部。実際に健さんも、こんな内容を自著に綴っている。

「仏壇の骨箱を開け、母の骨を見ていた。急に無性に別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまった」

 岡田会長の場合は、十分に骨が冷えていない“フライング”だったのか、はたまた異色の密葬を盛り上げようとピエロ役を買って出たのか、ともあれ会長に尋ねたところ、

「そのような事実はない」

 と仰る。

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