もし北朝鮮軍と自衛隊が戦闘することになったら… 自衛隊を知り尽くした漫画家、元特殊部隊員が明かす「国防」のリアル

国内 社会 週刊新潮 2020年10月29日号掲載

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【緊急対談】かわぐちかいじ×伊藤祐靖 「国防」の裏側と「自衛隊」のリアル(2/2)

 30年以上にわたって海上自衛隊を描き続けてきた漫画家・かわぐちかいじ氏と、自衛隊初の“特殊部隊”創設に携わった経験に基づくノンフィクション・ノベルが5万部に届こうという伊藤祐靖氏。二人が語った“戦争体験”、米軍と自衛隊の本質的な違い、そして「現場のリアル」と「フィクションの想像力」とは――。

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か 自衛隊の存在意義や国を守ることについて、伊藤さんは入隊後も考え続けていた。前作の『自衛隊失格』を読み、お父上との関係が大きいんだろうと思いました。

伊 はい。あの本では、自衛隊での経験を中心に、本気の度が過ぎていつもルールを逸脱してしまう自分の半生を書きました。その過程で“ああなっちゃいけない”対象として父を見て育ったので、ずっと否定してきましたが、やはり父親の影響が大きいです。現代ではありえない「軍人」の意識というのか、任務遂行への責任感です。

か お父上は陸軍中野学校のご出身で、終戦間際に受けた蒋介石暗殺の任務が、戦後もずっと解けていなかった。いつ頃そう聞いたんですか。

伊 私が小学校に入る前、5歳ぐらいのとき、父は毎週日曜日にエアーポンプ式のライフルで廃墟で練習していたんです。1969年です。

か 戦後24年経っても、蒋介石を狙っていたわけですね。

伊 蒋介石は、私が小学校4年生の頃に台湾で亡くなったんです。父はそこでやっと暗殺のための練習をやめましたが、それまでは「いつかは」と狙っていたようです。

か 息子の蒋経国も亡くなりましたね。

伊 はい、今でも覚えていますけど、狙う理由を聞いたら、「昔な、暗殺しろって言われて、やるって言ったからな」「今日電話がかかってきて、明日行けって言われたら困るだろう」と。だから練習も欠かさない。何を言ってんだ、戦争なんて自分が生まれるずっと前に終わっているのに。そう思っても、まだ真剣に任務を遂行しようという父が目の前にいました。

インドネシアの独立戦争に勧誘

伊 72(昭和47)年に横井庄一さん(グアム島で日本の無条件降伏を知らないままゲリラ戦を展開していた)が帰国したときは驚きましたが、その2年後に、小野田寛郎さん(陸軍中野学校出身で、終戦後も任務解除の報が届かず、在比米軍に対してジャングルでゲリラ戦を展開)がフィリピンのルバング島から帰って来た際のことです。周囲が驚嘆する中、父だけは、「いや、別にすごくもなんともない、普通のことだ」とつぶやいていた。何が普通なのかと今考えると、蒋介石が台湾で生きている間は、いつでも現地へ行けるよう「自分もまだ準備を続けていたから」なんです。

か 今のお話で、『空母いぶき』とその前の作品(『兵馬の旗』)で監修を担当してくれた、小学校の同級生で軍事ジャーナリストの惠谷治君――残念ながら一昨年亡くなりましたが――、彼のことを思い出しました。

 小学校の頃に惠谷君は、その当時流行っていたテレビドラマ「快傑ハリマオ」(欧米諸国の植民地だったマレー半島を舞台に「民衆の敵」と戦う実在の日本人をモデルにした冒険活劇)が好きで、ハリマオになりきってよく遊んでいました。中高生ぐらいになって、なんであんなにハリマオに傾倒していたのかと聞いたら、「実は、おやじが陸軍解散後、インドネシアのオランダからの独立戦争に関わる動きをしていたらしいんだ」と話していた覚えがあるんです。だからハリマオという作品で、自分のおやじをイメージしていると。確証はないにしても、身近にそんな話があったわけで、戦争は「終戦しました」では簡単には終わらないものなんですね。「アジアの独立を助ける日本軍」という役割を果たせていない、そんな思いを抱えながら日本に戻った人が数多くいた。正しいかどうかは別として、そういう思いを抱えている自分の親世代は、かなりいました。

伊 私の父もインドネシアの独立戦争に行かないかと誘われたそうです。

か お父さんもですか。

伊 はい。でも暑いから嫌だと断った。高地で標高が高いから涼しいと言われたそうだけれど、蒋介石暗殺任務がありましたし。本当に、おっしゃるような無念を抱えた人は多かったと思います。

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