Kis-My-Ft2「宮田俊哉」の“好き”を突き詰めた人生 アニメ、ヲタ芸から声優にも挑戦

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デビューまで10年を費やした、ジャニーズでも下積みの長かったタイプ

“好き”である。言葉にするとポジティブだが、それは一種、人を呪いのようにして縛ることもある。“好き”が人生をいい方向に展開させることもあれば、それが人の人生を縛り付けることもある。“好き”をもとに人生をいい方向に展開させる能力は、実は、母譲りなのかもしれない。

 宮田の母親は中学生の頃から「私の子ども、ジャニーズに入れる!」と言っていたというほどのジャニーズ好き。家ではSMAPやKinKi Kidsの曲が流れ、堂本光一好きの母に、ジュニアに入る前の小学生の頃、よく原宿のジャニーズショップに連れて行かれたという。

 そして、ここまで説明を省いてきたが、宮田はデビューまで10年を費やした、ジャニーズでも下積みの長かったタイプである。

 入所から4年後に、メンバーのイニシャルをもとにグループ名がつけられたKis-My-Ft2のメンバーに選ばれるが、ホワイトボードに書かれた『M』の横に他のいくつかのジュニアの名前が書かれて消された跡があったことで、グループに入った当初は劣等感を抱いていた。

 そこからデビューまで6年。母親にデビューを告げた時「ずっと申し訳ないと思っていた」ことを告げられたという。「自分の夢を背負わせて悪い」と思っていたという母に対して宮田はこう考えているという。

「たしかに最初はお母さんの夢だったかもしれない。でも、途中からは俺の夢でもあった。だから、同じ夢をいっしょに見てた」(*3)

“好き”を突き詰め成功している、ジャニーズアイドル・宮田俊哉。

 だが、ジャニーズアイドル・宮田俊哉自体が、宮田の母のジャニーズ好きから生まれたものだった。そう考えたときに、“好き”の幸福な連鎖に思いを馳せずにはいられないのである。

(*1)『POTATO』2009年1月号
(*2)『POTATO』2011年9月号
(*3)『裸の時代』/集英社
(*4)週刊SPA! 2020年3月24日・31日合併号
(*5)月刊MYOJO 2011年 8月号
(*6)キスマイ宮田俊哉、アニメへの“好き”に妥協なし 敬意と純粋な気持ち貫いた20年 https://www.oricon.co.jp/news/2169899/

霜田明寛(しもだ・あきひろ)
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3刷を突破。 また『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年10月20日掲載

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