なぜ「悪いやつ」が成功するのか? 知識人から忌み嫌われた「史上最凶のポピュリスト」

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 トランプ、プーチン、習近平……強権発動を厭わない「悪いやつ」ばかりが権力を握っているように見えるのは、どうしてなのか。近年の政治指導者の劣化を苦々しく思っている人も多いだろう。

 しかし、イギリス史を専門とする君塚直隆・関東学院大学教授は、「同時代の人びとから〈悪党〉と忌み嫌われた人物が、のちに歴史を動かした名指導者として評価されることも多い」と語る。

 君塚さんの近刊『悪党たちの大英帝国』では、辺境の島国に過ぎなかったイギリスを、世界に冠たる大英帝国へと押し上げた、7人の「悪党政治家」たちの実像が描かれている。

 とりわけ異彩を放っているのは、ヴィクトリア女王時代に長年にわたり首相を務めた第3代パーマストン子爵である。「パクス・ブリタニカ(英国による平和)」を実現した指導者と評価される一方、アヘン戦争などの「砲艦外交」に代表される強引な政治手法が、多くの批判を浴びた。

 パーマストンがいかに同時代の知識人や政治家たちから忌み嫌われたかを、同書を再構成して紹介しよう。

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あのマルクスも罵倒した

 まず紹介するのは、かの『資本論』を著したドイツの思想家カール・マルクスである。マルクスは、パーマストンを「すぐれた政治家」ではなく「じょうずな役者」だと痛烈な皮肉を込めて論じている。

「彼は、何でもやれるすぐれた政治家ではないが、すくなくとも、なんでもやれるじょうずな役者だとはいえる。喜劇でも、英雄劇でも、悲壮劇でも、世話劇でも、悲劇でも、茶番劇でも、なんでもじょうずにこなすけれども、好みからいえば、茶番劇がいちばん性にあっているかもしれない」

 イギリスで「亡命」生活を送り、労働者らのどん底の生活を目の当たりにしていたマルクスにとってみれば、英国議会で軽佻浮薄に立ち回るパーマストンは、政治家というより、単に自らの演技に酔いしれる三文役者にすぎなかったのかもしれない。

パーマストンは「悪魔の子ども」?

 のちに名宰相として英国史に名を残すウィリアム・グラッドストンも、まだ30歳の新進気鋭の政治家だった頃に、パーマストンが外相として主導した「第1次アヘン戦争」を激しく批判している。
 
「開明的・文明的なキリスト教徒であるわれわれが、正義と宗教に違反するかのような目的を追求しているのである」

 また、オーストリアの外相クレメンス・フォン・メッテルニヒも、パーマストンの批判者の一人であった。ヨーロッパで外交的な主導権をパーマストンと競い合うなかで、メッテルニヒは側近に次のようにもらしている。

「もし悪魔に子どもがいるとしたら、それはパーマストンに違いない」

女王陛下からも嫌われていた

 さらにパーマストンに対して強烈な嫌悪感を示したのが、誰あろう彼自身の主君であるヴィクトリア女王であった。女王はパーマストンが外相の時代から、外交政策決定のあり方をめぐってたびたび衝突していた。

 そして、フランスでナポレオン3世によるクーデターが発生し、当時外相だったパーマストンが勝手にクーデターを容認するかのような発言をした際に、ついに女王がキレる。

「私は本心からもうこれ以上、パーマストン卿とは一緒にやっていけないし、彼に信頼も置いていない」

 女王陛下にここまで言われては、さすがのパーマストンも外相を辞任せざるを得なかった。

稀代のポピュリスト?

 一方で、パーマストンが常にイギリス国民から強固な支持を受け、大英帝国の全盛期を支えたことは否定できない事実である。

 パーマストンは80歳で病死するまで首相の座にあり続けた。驚くことに、その死の直後に女性スキャンダルが持ち上がったことがある。野党保守党で彼と対峙したベンジャミン・ディズレーリはこのスキャンダルにあたり次のような言葉を残した。

「パーマストンの老いらくの恋だって! ばかげた話だ。だが選挙の時に知られなくてよかった。そんなことになっていたら、彼はさらなる人気をつかんだことだろう」

 のちに首相として卓越した政治手腕を見せたディズレーリのこの言葉には、政治指導者に国民が何を求めているかについての洞察が含まれているように思われる。端的に言えば、清廉潔白な人物よりも、老いてもなお愛人を作れるだけの器量と精力を失わない人物のほうに、国民は自らの命運を託そうとするものなのだ。その意味で、パーマストンは稀代のポピュリストだったと言えるだろう。

デイリー新潮編集部

2020年10月1日掲載

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