不本意にセッターに転向「中田久美」 タブーを破ったトス方法とは(小林信也)
一本のミスが命取り
オリンピックに3度出場、最高は84年ロスの銅メダルだった。選手生活で悔いを残したプレーはあるか? 訊くと中田は即座に答えた。
「92年バルセロナ五輪のブラジル戦、私がラインオーバーしたんです。右足が相手コートに入ってしまった。そんなこと滅多にしないのに、それで流れが変わった。一本のミスが命取りになってメダルを失った。今でも忘れられません」
中田ほどの天才セッターが勝負どころでミスを犯す。そして、失った流れをどうにも取り戻せない、それがオリンピックの怖さだった。だが、その話を若い選手にはしないという。なぜなら、「先輩の昔話を聞くのはうんざりだったから」。
来年のメダルの可能性を問うと、毅然として言った。
「極めて難しい。けれど、確率を少しでも上げるために努力することが大事です。バレーボールの価値を高めて次世代につなぎたい」
監督として中田久美がさらなる閃きに出会い、火の鳥ニッポンに新たな力を宿せるか。
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