「日本人女性」が遭遇した奇怪で詐欺のような「国際結婚」の悲劇について

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

「大変なお金持ちだそうですが、そんなことは二義的な問題です」

〈アルゼンチンの億万長者ホセ・ガリチオ老あこがれの“日本の花嫁”が決まった〉

 バランス感覚もどこへやら、女性読者の嫉妬と羨望を潤滑油に、毎日新聞の続報は軽快かつリリカルに綴られる。

〈この“四億円の花嫁”は福岡のアメリカ領事館勤務の古川道子さんという長崎大卒、三十四才の未婚女性。道子さんはガリチオ氏が花嫁を捜しているのを新聞広告で知った。早速ガリチオ氏の足取りをたどって数回電話で話合い、二十日別府で初対面、トントン拍子に話が進んだというもの。

 しかも二人は、きょう二十五日、明治記念館で結婚式をあげ、十月一日、羽田空港からヨーロッパへ新婚旅行に飛び立つという早手回し>(33年9月25日付)

 紙面には、4億円の笑顔を見せる古川道子の写真も掲板されている。

「昔から南米にあこがれていました。年齢の開きがありますが、話し合っても、また見てもおかしさを感じないと思います。大変なお金持ちだそうですが、そんなことは二義的な問題です」

 帝国ホテルで記者会見した道子はそう話し、すっかりガリチオ夫人になりきっていた。

 一方、ガリチオ老は、記者やカメラマンに囲まれて大人気の妻をよそに、ロビーで一人ポツネンとしていた。飛行機が墜落しても、日本人が乗っていなければベタ記事扱いになるこの国の特殊性が、76歳のアルゼンチン人に理解できるわけもなく、老はただ呆然とした様子で、遠巻きに騒動を眺めていたのである。

 実はガリチオ老、日本語はもちろん、英語もまるで話せない。新婦の方は、英語は堪能であったが、スペイン語は「セニョリータ」くらいしか解さない。

 しかし、愛と金に国境はない。何はともあれ2人は結婚し、世界一周のハネムーンに出かけて行った。

ソプラノで小鳥のように歌い、県の英語の弁論大会で優勝

 古川道子の父親は、親族によれば、「かつての『フクニチ新聞社』の社屋や福岡の大丸を設計した西洋建築専門の設計士」だったという。

 次女の道子も相当な才媛で、気位も高く、高校生の頃から「独身論」をブッたりしていたのだが、これにはちょっとした事情があった。

 妹の順子が語る。

「姉は子供の頃から非常に才能のある女性で、私にとっても憧れの存在でした。ソプラノで小鳥のように歌い、県の英語の弁論大会で優勝した時は、あまりに英語が堪能だったため“福岡女学院は二世を出場させた”と陰口を叩かれたほどです。福岡にいらした白系ロシアの方からバレエを習っており、他に日舞も習っていたのですが、本当は宝塚に行きたがっていました。ところが、少女時代に原因不明の高熱を出し、それが原因で小児麻痺になってしまったのです」

 小児麻痺を患ったせいで道子は足が不自由だった。婚期を逸したのもそのせいらしい。

 ともあれ、ハネムーンが終わり、ブエノスアイレスに着いたのは12月初旬であった。

 すぐにも「5000頭の牛がいる」という触れ込みのガリチオ邸に向かうはずだったのだが、のっけから様子がおかしい。

 スペイン語が分からないので判然としないものの、何でもガリチオ家で家族騒動が起きているという。騒動の原因は、ひょっとしたら私なのかも……。

 いや、きっとそうに違いない。とてもじゃないけど、そんな家には怖くて行けないわ。

 そんなわけで、やむなくホテルに滞在し、月に何度か弁護士のもとへ生活費をもらいに行っていたのだが、今度は尾行されていることに気づく。

次ページ:再び取材合戦に火がついて、ブエノスアイレスへ

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。