「日本人女性」が遭遇した奇怪で詐欺のような「国際結婚」の悲劇について

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苦境を聞きつけた大映社長の永田雅一に

 女優、三浦光子は愕然とした。そこは典型的な農村、いや寒村であり、子沢山の郷田家の暮らしは、戦勝国民のものとは思えない、それはそれは貧しいものであった。

 食べ物も質素この上なく郷田との東京での二年間は、これにくらべると夢のような生活でした〉(『なぜ私は国際結婚に破れたか』週刊朝日)

 貧しいだけではない。姑は光子を「お前」呼ばわりし、ハナから敵意を剥き出しにした。

「お前は息子と結婚したからアメリカに来られたんだ」

 それが姑の第一声だった。

 もとより、普通の姑ではなかった。新聞記者や映画関係者がやってくると、「うちの嫁を誘拐する気か」と怒鳴り散らし、「三浦光子が来たと騒がれていい気になっている」と、東京にいる息子に嫁の悪口を満載した手紙を送りつける。

「そこで待っているように」

 頼りのジョージはそんな手紙をよこすだけで、待てど暮らせど姿を見せない。

 姑の仕打ちに耐えきれず、年明けに嫁ぎ先を出たものの、帰国するにも切符代がなく、英語も話せない。

 やむなく売り子、エレベーター・ガール、皿洗いまでした挙げ句、苦境を聞きつけた大映社長の永田雅一に700ドル借りて、やっと帰国の途に着いたのは3年後であった。

〈しばらくすると、彼の代理と称する人が現われて離婚の白紙委任状にサインをしてくれと頼まれた。彼が二重結婚をして、三つになる子供がいることなどは、最後まで気がつかなかった〉(『愛からの脱出』女性自身)

 ジョージ郷田、実にひどい男だが、44年に光子が直腸ガンで他界した時、彼女にもまた隠し子がいたことが判明。喪主を務めたのは、戦時中の19年に、ある映画監督との間にできた息子であった。

4億円の預金通帳と「日本の女性と結婚するために来た」

 昭和30年代あたりまでの新聞は実に面白い。例えば、33年9月12日付の毎日新聞にはこんな記事が載っている。

〈去る八日、神戸入港のオランダ船チネガ号で観光旅行に来日したアルゼンチンの金満家ホセ・ガリチオ老(76)が、たまたま同船した内山神奈川県知事夫人登志子さんに「日本の女性と結婚するために来た」とうちあけ仲人役を頼み花嫁をさがしている〉

〈ガリチオ老は十年前夫人に死別、七人の子供も全部一人前になったので、永年アルゼンチンでみてきたしとやかな日本女性を妻に迎えて余生を楽しみたいというわけ〉

 ガリチオ老は、身分証明書代りに1000万ペソ(4億3000万円)の預金通帳と見合い写真を内山登志子に手渡したという。

〈目下関西方面を旅行中の老は十月東京で挙式、国内各地を新婚旅行して十二月末帰国する予定という。花嫁は三十五才から四十五才、未亡人でもOK、死後は遺産全部を贈るという、好条件、である〉

 記事の反響は凄まじく、1週間のうちに、200人を超すしとやかな日本女性たちが、われもわれもと結婚の申し込みをしてきた。

 見合い写真や人形などのプレゼントに粉れて、「血で書かれた手紙」まで送り届けられたというから、新聞も元気なら女性読者も元気一杯だったわけだ。

 反響の凄さに驚いた毎日新聞は、2日後、この事態を批判する投書を掲載することでバランスを取ろうとした。

〈これほどまでに日本女性を要望されるのは在アルゼンチンの日本女性のしとやかさである。ところがどうだろう。こうして二百人もワンサと押しかけた花嫁に望まれたがる女性の心は、七十六才の老人を真実いたわり一生幸福にするという純粋さからだろうか(中略)かりに無一文の老外人だったら果たして名乗りでる人がいるだろうか疑問に思う。と同時に現代のせち辛い女心を浅ましく思う。(中略)老富家のめがねにかなった花嫁は“金がめあてだった”という結論を出させぬよう、どうか日本女性全体の名誉にかけてまごころを尽していただきたいものと心から申上げる〉(武蔵野市・主婦)

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