「日本人女性」が遭遇した奇怪で詐欺のような「国際結婚」の悲劇について

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岸恵子、山口淑子、淡路恵子、雪村いづみの共通点とは?

 戦後、日本に駐留した米国軍人と結婚、渡米した「戦争花嫁」は10万人を下らないと言われる。その後も国際結婚に憧れる日本女性は後を絶たず、中には「イエロー・キャブ」と蔑まれながらも、そのまま彼の国に居着く女性も少なくなかった。今は昔ではあるけれど、国際結婚にはどこか無理があり、そのかなりが惨めな結果に終わるという実例をお届けしようと思う。

※2001年7月26日号に掲載された記事を再編集したもので、肩書や年齢は当時のママです。

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 国際結婚と聞くと何やら華やかなものを想像しがちだが、関連の雑誌記事を集めてみると、悲惨な結末を迎えたケースが続々と出てくる。

〈国際結婚の夢破れて焼身自殺した24歳〉

〈福岡のホテルで女の他殺死体、容疑者のアメリカ人の夫は羽田から飛び立って不明〉

〈母になれなかった“高砂族の花嫁”の自殺〉

 とりわけ、戦後は国際結婚に関する記事が目白押しだ。

〈国際結婚は悲しからずや〉

〈ストップ! 国際結婚〉

〈国際結婚は是か非か〉

 どれも余計なお世話であるが、戦後、米国人と結婚した日本女性は、10万人とも15万人とも言われているのだから記事の多さにも納得がいく。いわゆる戦争花嫁の苦労話は枚挙にいとまがないほどだ。

 国際結婚をする女性自身の正体がよく分からないというケースもままある。

 とはいえ、フランスの映画監督イブ・シャンピと別れた岸恵子、山口淑子とイサム・ノグチの結婚と離婚は世間の耳目を集めずにはいなかった。

 フィリピンの歌手ビンボー・ダナオと淡路恵子、年下のアメリカ青年ジャック・セラーと結婚した雪村いづみ……そのいずれもが失敗に終わっている。

 日本人同士だってなかなかうまくいかないのだから、コミュニケーションの図りづらい国際結婚が成功するのはむしろ稀なのである。

 その中からGHQの二世中尉と結婚し、「国際結婚第1号」と騒がれた三浦光子のケースを見てみよう。

「ロサンゼルスに広大な農場と、トウガラシ加工の大工場を持っている」

 日劇ダンシングチームから松竹入りした三浦光子は、高峰三枝子、桑野通子らと同時期に活躍した女優である。終戦の3カ月後、彼女は撮影所にやってきた日系二世のジョージ郷田に一目惚れ。セピア色の古い資料によれば、「郷田が撮影所までジープで迎えに来たりして、大変な騒がれようだった」らしい。

 当時を知る木暮実千代は、こう回想している。

「物のない時代で、オレンジやチョコレートをわけていただきました。郷田さんも「いい方で、お幸せそうでした」

 国際結婚に共通するのは、最初のうちはとても幸せそうだということである。

 翌21年4月、2人は聖路加教会で結婚式を挙げる。この時、光子は29歳、郷田は4つ年下の25歳だった。

 間もなく除隊した郷田は、東京で学資を稼ぎ、アメリカの大学に行くと言い出す。一方、光子は23年のクリスマスまでに入国すれば永住権が与えられると聞いて、同年10月一足先にアメリカへ渡る。

「僕の家はロサンゼルスに広大な農場と、トウガラシ加工の大工場を持っているんだ」

 郷田は常々光子にそう話していた。そんなに裕福なら、東京で学資を稼ぐ必要などないはずなのだが、恋は盲目である。光子は夫の言葉をつゆ疑わず、単身、LA郊外にある郷田家へ向かう。

 憧れの新天地アメリカ。そこには、確かに広大な土地が広がってはいた。しかし、郷田家の土地かどうかは分からないし、話に聞いていたトウガラシの加工工場はどこにも見当らない。やっと探し当てた実家で光子を待っていたのは、僅かばかりの畑でトウガラシを作っている父親と口うるさい大阪出身の姑、それに計6人の義弟妹たちだった。

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