「金正恩が与正に権力の一部を委譲」報道の真相、実情は独裁体制崩壊で兄も妹も共倒れ

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「草案」の解釈

 念のために「草案」を広辞苑第七版(岩波書店)で引くと、《合議して決めるために、まず作られた案》とある。まさしく草案とは民主的な意思決定プロセスを象徴したような単語なのだ。重村教授が言う。

「草案という単語から2つの可能性が考えられます。金正恩氏は独裁者だったことを反省し、『今後は民主国家に生まれ変わる』と宣言したという解釈が1つです。2つ目は、正恩氏の健康状態は意思疎通が難しいほど悪化しており、党幹部が合議で話し合う必要が生じた。そうした状況を報じないわけにもいかないが、正恩氏の健康問題に触れるのは不可能。苦肉の策として、草案という言葉を選んだという可能性です。どちらが真実に近いか、前者があり得ないことは言うまでもありません」

 先にデイリー新潮の記事「北朝鮮『韓国への軍事行動保留』報道の読み方、“金与正軟禁”もある軍クーデター説」をご紹介したが、このクーデターの中心人物と目されているのが、李炳鉄(誕生日不詳)だ。1948年に生まれ、主に朝鮮人民軍の空軍を中心としてキャリアを重ねた。

 16年の弾道ミサイルの発射実験に立ち会い、成功すると金正恩と抱きあったことから注目を集めた。

中国の危機感

 その李炳鉄が8月の党中央委員会政治局第7期第16回会議で、党中央委員会政治局常務委員に任命された。異例の出世を果たしたのは金与正ではなく、李炳鉄だったということになる。

「かつて共産・社会主義国家を標榜した東側諸国は、ソ連を筆頭に、党は軍より優位に立っていました。北朝鮮も建前では金一族が軍を支配していることになっていました。ところが李炳鉄氏は軍人でありながら、党中央委員会という政治の世界でも委員として抜擢されたわけです。建前ではなく、本当に軍人が序列としても党幹部に匹敵する扱いを受けたというわけで、これこそ異例中の異例と形容すべき人事なのです」(同・重村教授)

 実は北朝鮮の“迷走”を中国が危機感を持ってウォッチしている節があるという。今年8月、中国の楊潔●[よう・けつち]共産党政治局員(70)が韓国の釜山を訪問し、韓国の徐薫[ソ・フン]国家安保室長(65)と会談した。実は、これが通常ならあり得ない会談だったという。(●=「篪」環境依存文字:「簾」の广を厂に、兼を虎に)。

「中国の場合、外交トップは揚政治局員で、王毅(おう・き)外相(66)はその下という位置づけです。そんな大物が韓国を訪問するのに、ソウルで文大統領と面会しないということがおかしいわけです。更に揚局員は韓国の前に、カモフラージュでシンガポールを訪れています。ついでに韓国に立ち寄ったことにし、“重要な会談ではありませんよ”と言わんばかりでした。なぜこんなことをしたのか、中国は北朝鮮の異変を憂慮し、揚局員が『万が一、軍事クーデターが起きても、韓国は軍を動かすな』と韓国政府に釘を刺す必要があったからです」(同)

軍はどう動くか?

 もし、そんな会談を堂々とソウルで文大統領を相手に行ってしまうと、アメリカと北朝鮮が猛反発するのは火を見るより明らかだ。それを避けるため、シンガポール経由で釜山に入ったのではないかというのだ。

 現在の北朝鮮はどんな状況なのか、重村教授が“日本のオーナー企業”を例に分かりやすく解説してくれた。

「金一族というオーナー家の若社長が病に倒れてしまった。死去すればさすがに後継者を発表しなくてはなりません。そうでないのは『彼こそ正恩氏の跡継ぎだ』という候補者がいないのと、金正恩氏が生存しているということだと思います。結局、オーナー家は次期社長を決められず、ベテランがひしめく役員会に頼らざるを得ない。一時期は若社長の妹が『私が代理を務めます』と頑張ったのですが、役員会に放逐された。こんな状況だと考えられます」

 正恩の父親である金正日は「先軍政治」を標榜して軍部を立てたが、なぜか息子の正恩は党の優位性を復活させようと尽力したものの、自ら指揮を執れない健康状態になってしまった。

「これまで金一族と軍は文字通り呉越同舟の関係で、互いに利害が相反することがあっても、船が沈没しては元も子もないと共同戦線を張ってきました。しかしながら今後の北朝鮮の動向を分析する際は、軍部がクーデターを起こすシナリオも否定せず、可能性の1つとして考えたほうがよいでしょう」(同・重村教授)

週刊新潮WEB取材班

2020年8月28日掲載

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