「神戸山口組の乱」は5年で平定、6代目山口組の高山若頭が次に見据えるのは?

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4代目争いで負けたら、竹中側は「田岡組」で行く予定やった

 5年前の夏、6代目山口組を割って生まれた神戸山口組。その神戸山口組内で、さらに不満を持つ面々が飛び出して結成した任侠山口組(現・絆會)。ヤクザ三国志などとメディアで取りざたされたこともあったが、ちょうど5年を区切りとして、「神戸山口組の乱」は平定された格好だ。5年前の神戸山口組発足当時の話から現在まで――。

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「メディアは今回の件を分裂と書くし、一般の方から見ても分裂に見えるんかもしれへんけど、実は分裂でも何でもない。単なる謀叛で、謀叛を起こしたモンが絶縁や破門処分になっただけです。今回は司(忍)の親分の盃飲んだモンが、その盃返すことなくほったらかしにして出て行っとるんやから、これ、謀叛ですやんか。しかも、これは逆縁と言うて、我々の世界では犯罪。犯罪の中でも、万死に値するもんです」

 ちょうど5年前、週刊新潮の取材に、6代目山口組の直系組長はこう語っていた。まさに理非はどちらにあるのかが問われたわけで、こんな風にも打ち明けていた。

「徒党を組んで神戸山口組を名乗り、菱の代紋を勝手に使っとるようやけど、そんなことこっちは認めておらんし、いわばエセ山口組やな。向こうがエセ山口組を立ち上げてから2週間ちょっとですが、(神戸山口組の中核組織である)山健組から150人、他団体から50人がすでにこちらに戻ってきています」

 これについて、元山口組系暴力団の会長で現在はノンフィクション作家やコメンテーターとして活動する竹垣悟氏は、以下のように明かす。

「4代目争いで負けたら、竹中側は『田岡組』で行く予定やったそうですよ。山口組、名乗られへんからね」

 竹中正久組長率いる竹中組の直系下部組織に身を置いた竹垣氏は、正久4代目が射殺された山一抗争を経て、竹中組当代となっていた竹中武(4代目の実弟)組長が山口組を脱退する1989年、中野会(会長は中野太郎5代目山口組若頭補佐)に移籍。6代目体制では、初代古川組舎弟頭補佐を務めた。現在はカタギとなり、NPO法人を設立している。

高山清司若頭が出所して以降、攻勢が強まった

 再び、前出の直系組長の話に戻ると、

「自分とこの親分がやっとるのは大義のないことや、こんなん逆縁や、あるまじき行為や、ということで続々と戻ってきとるわけです。戻ってきた中に向こうのスパイがおって、トロイの木馬みたいなことになったら困りますから、きっちり身元を調べた上で戻す。戻ってきた者は、山口組のいろんな組織に振り分ける」

 結果を見ているから言えることだが、この時点ですでに勝負あった、と言うか、勝負にすらなっていなかったのである。

「今、井上さん(邦雄・神戸山口組組長)は山健組の組長と、新しく作った組織の組長を兼任しとる。井上さんは山健組の4代目組長やから、5代目を誰かに譲って、自分は新しい組織のトップに専念すべきですやん。なんでそれをすぐにせえへんのかわかります? それをしたらワーッと人が出て行ってしまうからです」(同・直系組長)

 その後の2018年5月、井上4代目山健組は中田広志5代目に継承されたものの、わずか2年で分裂と相成ったわけだ。

 6代目山口組の直系組長は、

「それでも鉄砲でも持ちだしたら、一発で特定抗争指定暴力団に指定され、全国の事務所は閉鎖ですわ。向こう(神戸山口組)はそれを狙っとる」

 とも話していたのだが、昨年10月に6代目山口組の高山清司若頭が出所して以降、6代目側は、どんどん攻勢をしかけるようになる。

 たとえば昨年11月27日、尼崎で神戸山口組・古川恵一幹部が6代目山口組系2代目竹中組元組員に自動小銃で30発ほど撃ち込まれ、殺された。

 また2020年5月30日、神戸山口組系池田組の前谷祐一郎若頭が岡山市内で銃撃を受け、重傷を負った。対立する6代目山口組系大同会幹部による犯行である。そしてその後に、神戸山口組、山健組内の分裂が表面化したのだった。

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