巨人、田中豊樹投手は“リストラの星”、育成入団71人中、1軍出場を果たしたのは…

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 トライアウトを経て巨人と育成契約した26歳の投手が、支配下昇格をかち取り、エースナンバーに相当する背番号19を貰う。こんな“球界版シンデレラストーリー”が実現したのが、7月26日のヤクルト戦(神宮)だ。

 9対4とリードの最終回、3番手としてマウンドに上がった田中豊樹は、この日は「19」のユニホームが間に合わず、育成時代の「018」のままだったが、最速150キロの直球を主体に、新天地での再スタートを3者凡退で飾った。

 育成から支配下登録される選手は、大きな番号が与えられるのが、お約束。巨人でも60番台や90番台が空いていたのに、かつて上原浩治や菅野智之も背負った19番がプロ4年間で未勝利の田中豊に与えられたのは、異例中の異例だった。その理由を、原辰徳監督は「宮本(和知)投手コーチと話をして、“もう苦労人だよ。いい番号をあげてくれ”ということで」と説明した。

 上原が大学受験で浪人した19歳のときの苦労を忘れないために「19」を選んだエピソードは有名だが、“苦労人つながり”だけでエースナンバーを与えたとは思えない。期待の表れと解釈すべきだろう。

 佐賀商時代に最速146キロ右腕と注目された田中豊は、3年夏の県大会で初戦敗退。甲子園で153キロをマークしたライバル・北方悠誠(唐津商)の陰に隠れ、プロ志望届も断念した。大きく運命が開けたのが、日本文理大2年のとき。リリーフエースとして全日本大学野球選手権で好投したことから、日米大学野球のメンバーにも選ばれ、2016年にドラフト5位で日本ハムに入団。17年に19試合に登板し、3ホールドを挙げた。

 だが、「強いボールを投げなければ」と意識するあまり、上体に力が入り過ぎ、自分のフォームを見失ってしまう。4年目は横手投げに変えたが、結果が出ず、開幕から2軍暮らしの末、オフに待っていたのは、戦力外通告だった。

「必ず復活する」と誓った田中豊は、大学時代にお世話になった福井県の整骨院で1ヵ月近いトレーニングの末、理想のフォームを取り戻した。そして、11月12日のトライアウトで力強い投球を披露し、救援投手の補強が急務だった巨人と育成契約。今季はイースタンで10試合に登板し、9回1/3で8連続を含む17奪三振、防御率1.93の好成績が認められ、晴れて支配下昇格をはたした。

 守護神・デラロサが故障離脱し、代役の沢村拓一も不振で2軍落ち。中川晧太が抑えに回った結果、8回を任せられる中継ぎが必要になったというチームの台所事情も、幸運を運ぶ追い風となった。

 巨人といえば、FAをはじめ金に糸目をつけない大型補強のイメージが強いが、育成ドラフトが導入された第二次原政権以降は、「安く獲って大きく育てる」という、もうひとつの顔も顕著になる。

 その代表格が、“育成ドラフト元年”の05年に獲得した山口鉄也だ。

 横浜商時代は3年夏に県大会ベスト8止まりで、それほど注目されていなかった山口は、ダイアモンドバックスの入団テストを受け、傘下のルーキーリーグで4年間プレーしたが、1Aにも昇格できなかったため帰国。横浜と楽天のテストに不合格となり、最後にダメもとで受けた巨人に合格。第1回育成ドラフトで1位指名された。

 2年目の07年4月に育成登録され、翌08年、先発陣がなかなか結果を出せないなか、越智大祐とともに中継ぎの柱として67試合に登板。11勝2敗2セーブの好成績で新人王に輝いた。

 06年の育成ドラフトも、3位指名の松本哲也が09年に打率.293、16盗塁、チーム最多の27犠打を記録し、前年の山口に続いて2年連続育成出身選手の新人王という快挙を成し遂げた。松本も、大砲揃いで外野守備に難があり、打線のつなぎ役も不在というチーム事情が幸いし、第2回WBCメンバーに選ばれた亀井善行の代役としてオープン戦で出場のチャンスを得て、飛躍のきっかけをつかんだ。

 巨大戦力のほころびから生じるチャンスにめぐり合えるかどうかも、成功への大きなカギを握っている。

 また、15年には、中日を戦力外になった堂上剛裕が育成から這い上がり、勝負強い打撃や“空中殺法キャッチ”で活躍。崖っぷちの男の「もうひと花」の思いを、育成で活かす“再生工場”としての効果も示した。

 とはいえ、これまで育成ドラフトで入団した71人中、1軍出場をはたしたのは16人(※他球団移籍後の1軍出場者は除く。8月6日試合終了時点)。うち50試合以上に出場したのは、最初の2年間の3人を除くと、“神走塁”で売り出し中の増田大輝(15年1位)だけ。近年で主力に成長したのも、育成から先発ローテ入りしたドミニカ出身のメルセデスぐらいで、1軍定着は年々狭き門になりつつある。

 深刻なコロナ不況の下、“リストラの星”としても注目される田中豊だが、その後、2試合続けて失点し、「背番号19」の重圧との闘いが続く。

 8月6日の阪神戦では、今年5月に支配下登録された2年目の沼田翔平(18年3位)が1軍初登板をはたし、4年目の堀岡隼人(16年7位)も登板チャンスを与えられるなど、育成出身同士の競争も益々激化。エースナンバーを貰ったからといって、うかうかしてられないのである。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集

2020年8月14日掲載

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