「コロナよりも怖いのは人間だった」刺さる言葉が満載 コロナ疲れに染みる「お寺の掲示板」

国内 社会 2020年6月27日掲載

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 インパクトがあったり、ユニークで意外性があったり、心にグサッと刺さったり――。近年、お寺の門前に設置された「掲示板」の言葉に注目が集まり、テレビや新聞などさまざまなメディアで取り上げられています。「お寺の掲示板」の言葉は、仏教の智慧をあらわしたものから、著名人の名言を引用したもの、オリジナルのメッセージまで、その内容はさまざまです。世相に沿ったタイムリーな言葉が掲げられることも多く、この春には新型コロナウイルスが猛威を奮う現在の状況をとらえた「掲示板」も多く存在しました。

 ここでは、「コロナ禍」を直接扱った「お寺の掲示板」や、いまの辛い状況を乗り越えるヒントとなるような掲示板の言葉をいくつか紹介してみたいと思います。

 現在、政府からの「マスク」や「特別定額給付金」の到着を待っている方が多いのではないかと思います。到着する時期は地域によってかなりばらつきがあるようですが、仏様のお慈悲はどこにいても常に一律に私たちに届いているのです。

 先日亡くなられた志村けんさんのギャグですが、いま読むと不安を抱えた私たちへのメッセージとして捉えることができます。ちなみに「涅槃経」には「大丈夫」という言葉が仏の異名として登場します。ですから、この掲示板を「仏だぁ」と解釈することもできるのです。

答えを保留する力

 この掲示板は、京都にある浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺で2020年3月に撮影したものです。

 新型コロナウイルスについて、その治療法や対処法、今後の見通しに至るまで、「本当のこと」がまだ誰にもわかっていないにもかかわらず、あたかも「本当のこと」がわかっているかのように振る舞っている人を最近テレビ番組やSNSなどで頻繁に見かけます。そして、それに惑わされ、右往左往している人が大勢います。

 私たちが本当でないものに惑わされるのは、煩悩の根本である「無明」が原因であると言われています。お釈迦様はいくら考えても答えがでないことに対しては「無記」の姿勢を貫きました。これは沈黙の姿勢であり、お釈迦様にとってはまさに沈黙が答えだったのです。

「ネガティブ ケイパビリティ(Negative capability)」という言葉があります。これは、「すぐに答えの出ない状況に対して、答えを出さないままに耐える力」のことを指す言葉です。現在のような先が見えない状況の中では不安になり、安易に答えを求めてしまいがちですが、まだ正解は誰にもわかりません。このような状況下においては、「答えを出すのを耐えて保留する能力」が強く求められているのではないかと思います。

生きて死ぬ智慧

 歴史を振り返ってみると、疫病が蔓延し、社会が混乱に陥ったことは過去に何度もありました。本願寺8代目の蓮如上人(1415~1499)が在世の頃も疫病が流行し、多くの人々が亡くなったようです。蓮如上人が記した『御文章』(御文)には「疫癘(えきれい=疫病)の章」というものがあります。その中で「最近、疫病が蔓延して人が亡くなっている。これは疫病が原因で亡くなったのではない。生まれたことにより死は起こっているのである。だからそれほど大きく驚くことではない」と非常に冷静に述べておられます。

 確かに、「すべての人間の死因は生まれたことにある」というのは100パーセント間違いありません。人は生まれて、生きて、死ぬ。たけしさんが言うように本来はこれで十分たいしたものなのです。しかし、人間は生きている間にお金や職や地位や名誉などさまざまなものに執着してしまい、それらにより大きな苦しみを抱えてしまいます。

 私たちは本来何一つ持って生まれたわけではなく、何一つ持って死ぬわけではありません。今回のコロナショックによってさまざまなものを失う不安に駆られている人々が大勢いると思いますが、そもそも「自分のもの」とは一体何なのでしょうか。

 仏教的に言うと、この世にあるすべてのものに実体はなく、「これは私のものだ」という感覚は妄想に過ぎません。「自分は何者でもないし、本来何一つ持っていない」ということを心の中で少しでも認識できれば、生き方が変わってくるのではないかと思います。

 この言葉は、心理学者の故・河合隼雄さんが実際に駅員さんから言われたものです。おそらく河合さんは夜遅く新幹線の終電間際に駅へと駆け込んだのでしょう。その時に駅員さんから掛けられた言葉が偶然にも、「わたしたちが希望を失ったとしても、仏様の智慧や慈悲の光は私たちを照らしている」と解釈することができる言葉になっているのが不思議です。

 さきほど「本当のことでないことを本当にしてしまう」のは「無明」が原因であると述べましたが、この無明煩悩の暗闇を仏様の光(智慧)が破るのです。私たちが気づいていない時も仏様の光は常に私たちを照らしています。その光の存在に気づけるかどうかで人生が大きく変わってくるのは間違いありません。

江田智昭(えだ・ともあき) 1976年福岡県生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒。2007年より築地本願寺内の(一社)仏教総合研究所事務局、2011年~2017年にデュッセルドルフのドイツ惠光寺、2017年8月より(公財)仏教伝道協会に勤務。著書に『お寺の掲示板』がある。