黒いカレーで60年「神保町 キッチン南海」が閉店 90才社長が語る“我が人生”

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 古書と学生とカレーの街・神田神保町(東京千代田区)で、半世紀以上にわたり、“真っ黒”なカレーを提供してきた「キッチン南海」。昼時は学生やサラリーマンが行列をなす光景は今も変わらないが、6月26日をもって閉店することになった。理由は、店が入るビルが築90年で老朽化したためだ。建物と同い年の創業者・南山茂社長(90)が、思いの丈を語る。

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 出版社の多い街でもあるから、「神保町 キッチン南海」のファンには、作家や編集者も少なくない。文芸評論家の福田和也氏は「神保町の顔」「これは文化財である」と絶賛しているほどである。

 昭和4(1929)年生まれの南山社長は、いまもバイクで店に通っている。

南山:バイクには昔から乗ってるからね。いまは原付だけどね。店ではレジもやるし、コップくらいは洗わないとね。閉店を決めたら、お客さんが却って増えちゃったし、若いもんが忙しいから……。

――カレー(550円)以外にも、カツカレー(750円)、ひらめフライ・しょうが焼きセット(850円)、エビフライ・しょうが焼きセット(850円)も人気メニューだ。無駄口をきかず、キビキビと動く厨房の料理人たちは、見ているだけでも気持ちがいい。客のほうも心得たもので、厨房に合わせるかのように、さっさと食べて帰って行くから回転はいい――、はずなのだが、店の前には、昼の部が終わる15時を過ぎているというのに、閉店を惜しむお客たちの行列ができていた。

南山:ありがたいですよ。だけど、ご近所のお店の前にまで列ができちゃっているでしょう。迷惑かけてると思うと、申し訳なくてね。

――創業はちょうど60年前の1960年。当初、店は飯田橋にあったが、6年後に神保町に移った。店名は「カレーの南海」だった。

南山:神保町は明治大や日大など学生が多いでしょ。あの頃の学生は、麻雀をよくやっていた。授業の前に雀荘の席を取りに行くなんて学生もいたからね。そこへ出前すれば、当たると思った。実は、僕は麻雀は知らないんだけど、“打ち”ながら食べやすいものならカレーだろうと。その予想は当たって、出前専門店も含め、神保町に5店まで増えた。

――たしかに麻雀を打ちながら、スプーン1本で食べられるカレーはいい。とはいえ、カレーでなくたって良かったような気も……。

南山:カレーが好きで好きで……。だけど、うちのおふくろが作ってたような小麦粉臭いのは嫌いだった。親戚のレストランの厨房を借りて、小麦粉をよーく炒めれば粉臭さもなくなるだろうと、炒めていたら黒くなっちゃった。それがカレーを作った最初だったかな。

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