コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」

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 全国でマスクが出回り始めた今になってようやく届き始めた「アベノマスク」。466億円もかけてそれを配ったおかげで市中にマスクが流通し、価格も下がったと詭弁を弄する安倍晋三総理にはため息しか出ない。

 無論、初めて経験する災禍だから誰がリーダーであったとしてもミスが起こるのは仕方なかろう。しかし、混迷を極める政府への不信感が日本中を支配するにつれ、政財界の一部からこんな声が聞こえてくるようになった。田中角栄ならもっとうまくやったのではないか――。

「布マスクを配布するなんてね、田中先生だったらそんなバカみたいなことはやるはずがない。秘書官に言われるがまま実行に移すなんて、国のリーダーとしてあり得ません。田中先生なら経済活動と国民の命を同時に守る、バランスの取れた政策を取ったはずです」

 鉄の結束を誇った角栄の後援会「越山会」元幹部の馬場潤一郎氏はそう語る。

「田中先生が議員時代に道路整備に力を入れたのは、工業生産が増える中でトラックが通る道路が必要だったから。実は、そういった経済的な面だけではなく、それは人々の生活を守る政策でもあった。田中先生の地元の新潟では、冬になると豪雪で道路が使えなくなり、急病になっても病院に行けないことがある。無雪道路がないと、人々の命、生活が危ないと考えて道路整備を進めたのです」

 角栄の元番記者で新潟日報社長の小田敏三氏も、

「角栄さんならマスク2枚配布は絶対にしないだろうな、と安倍さんの発表を聞いた時に思いました。角栄さんならまず、自分が泥を被ってでも大型の財政出動を最優先したはずです」

 小田氏が思い起こすのは、最終的に角栄が決着させた「日米繊維交渉」である。

「1971年、第3次佐藤栄作改造内閣で角栄さんは通商産業大臣に任命されました。当時、アメリカのニクソン大統領は自国の繊維工業を守るため、日本に繊維輸出の自主規制を求めていました。が、それまでの通産大臣は自主規制に反対の立場を取り、アメリカとの交渉は難航。そこで佐藤総理が角栄さんに白羽の矢を立てたのです」

 角栄は当時のことを、“あえて火中の栗を拾った”と言っていたそうだが、

「それは決してウソではなく、交渉に失敗すれば国民の猛反発を受け、政治家生命が終わってしまう可能性が実際にあった」

 と、小田氏。

「当時、アメリカはベトナム戦争やインフレによって国際収支が赤字となり、深刻な経済不況に陥っていた。繊維業界の救済はアメリカ全体の不況政策の一つだったのです。角栄さんはそうしたアメリカの交渉背景を汲み取り、さらに佐藤総理が、沖縄返還交渉を成功させるためにも、日米繊維交渉を早期に決着させたいと考えていることも理解していました」

 しかし、繊維輸出を自主規制すれば概算にして2千億円余りの損失が出ると言われていた。そこで角栄は佐藤総理などを説き伏せて繊維業界の救済対策費用、約1300億円を確保。

「繊維業界の損失は丸ごと国が補償するという角栄さんの戦略で、見事日米繊維交渉は決着。その後、『縄と糸の交換』と言われたように沖縄が日本に返還されました。日本のお家芸である繊維業で自主規制をするのは難題だったに違いない。だから今回、もし角栄さんなら自分が泥を被ってでも思い切った財政出動をして、本当に困っている人への補償に当てたのではないかと私は思います」(同)

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