大正9年、早大野球部が強豪「シカゴ大」に初の勝ち越し、悲願達成で飛田監督は…

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にっぽん野球事始――清水一利(16)

 現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第16目だ。

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 早稲田大学野球部のアメリカ遠征は1905(明治38)年の第1回以降、1911(明治44)年、1916(大正5)年、1921(大正10年)と回を重ねた。その4回の遠征に大きく関わっていたのがシカゴ大学である。

 アメリカ遠征の発案者であった野球部長の安部磯雄は、アメリカ留学時代にさまざまな人脈を築いたが、その中に当時アメリカの大学野球で無敵を誇っていた強豪チーム、シカゴ大学の関係者がいた。その縁で安部は1904(明治37)年、つまりアメリカ遠征の前年、シカゴ大学のメリーフィールド氏をコーチに招聘、その厳しい指導を受けた選手たちは、「国内のチームに全勝したら君たちをアメリカに連れていってやろう」という安部の言葉に大いに発奮、一高、慶応、学習院、横浜外国人チームと対戦相手をことごとく撃破して自らの手で日本の野球チームとしては初めての海外遠征を勝ち取った。

 その後、安部は5年ごとの早稲田とシカゴ大学との定期戦を計画し、1910(明治43)年、早稲田の招聘でシカゴ大学チームが初来日して第1回の定期戦が行われた。しかし、東京と大阪でそれぞれ3試合、合計6試合行われた対戦はいずれも大差のワンサイドゲームでシカゴ大学が勝利。両校の実力差は如何ともしがたかった。

 そして安部の構想どおり、その5年後の1915(大正4)年、シカゴ大学は再度来日し、第2回の定期戦が開催された。前回の雪辱を果たすべく、猛練習でシカゴ大学を迎え撃った早稲田だった。ところが、結果はやはり早稲田の完敗。前回とは打って変わって試合内容は善戦だったものの、7戦全敗とどうしても勝つことができなかった。

 2度の定期戦で1勝もできない13連敗とあっては、早稲田にしてみれば屈辱以外の何ものでもなかっただろう。その早稲田が一矢を報いることができたのは1920(大正9)年5月25日、戸塚球場での第3回定期戦の第3戦だった。

 この試合、打線が2回、6回に挙げた2点を松本終吉がシカゴ大学打線を完封して守りきり、第1回定期戦から10年、実に16試合目で念願の初勝利を飾った。早稲田は第5戦も延長14回の末、4対3で接戦をものにし、第3戦の勝利が決してフロックではなかったことを証明してみせた。この第3回定期戦での早稲田は2勝4敗1分と対戦成績こそ負け越したが、強豪相手に堂々と渡り合ったというべきだろう。

 そんな早稲田に対して、逆に本場の力を見せつけようとの意気に燃え、シカゴ大学が4度目の来日を果たしたのは5年後の1925(大正14)年のことである。この時、両校は実力伯仲、まさにがっぷり4つの戦いを繰り広げ、第4戦を終えて1勝1敗2分。最終戦の第5戦が雌雄を決する試合となった。

 その運命の最終第5戦、4回までに4点をリードされて劣勢に立った早稲田は5回以降に猛反撃、ついに10対4で逆転勝利を収め、シカゴ大学に対戦成績で勝ち越すという夢を現実のものとした。

 この勝利を機に、監督を務めていた飛田穂洲は、「1つの目的を達した時、熱が減退することは監督にとってもっとも恐るべきことである。シカゴ大学を破ったいまこそ、監督を勇退すべきだろう」といって監督を辞任した。これをみても早稲田の打倒シカゴ大学への思いがいかに強かったかが分かるはずだ。

 両校の定期戦は、その後1936(昭和11)年まで行われたものの、日米間の関係が悪化し、ついには太平洋戦争に突入したことによって中断となった。

 それ以後再開されずにいたが、創立125周年を記念して早稲田がシカゴ大学に定期戦復活を提案、2008(平成20)年3月、実に72年ぶりの対戦が実現した。試合は広島市民球場などで3試合を行い、早稲田が3連勝とシカゴ大学を圧倒した。その結果はさておき、両校の選手たちは時を隔てて旧交を温めたのである。

【つづく】

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月30日掲載

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