「愛子天皇」「女性宮家」否定の民間研究会 皇室問題の重鎮参加で波紋

国内 社会 2020年5月10日掲載

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女系・女性天皇を急ごうとした“平成の呪縛”とは何だったのか

 小泉内閣下で有識者会議が平成17(2005)年11月に「報告書」を出すのを前に、当時の政府関係者や自民党の幹部らが、女系・女性天皇容認に異論を挟む関係者に対し、「これ(政府の考え)は陛下のご意思でもある」と言い放っていたというのは良く知られた事実である。筆者も、当時の政府の中枢にいた複数の人物が、そうしたニュアンスをちらつかせながら、「これ以上、反対はしないで欲しい」と当時の神社関係者を説得して回っていた具体的な事実を聞いている。当時の宮内庁トップが複数の学識者に対して、あからさまに政府方針への協力依頼をしたこともあったという。

 政府が女系・女性天皇容認へと結論を急いだ背景に、ほんとうに陛下のご意思があったのかどうかは確認のしようがない。ただ、こうした一連の動きが官邸主導で、宮内庁トップを巻き込んで進められていたことは確かである。当時の経緯を良く知る関係者は当時を振り返り、「小泉総理というよりも、内閣官房のトップが中心になっていた。『陛下のご意思』を勝手に持ち出して自民党幹部に発言させ、保守側を分断(男系派と女系派)させることが狙いだった。実際その通りになった。そのため、官邸や宮内庁の中では、男系、すなわち旧皇族の復帰を主張する人たちを異端視、あるいは嘲笑する雰囲気さえできあがっていった。一種の思考停止状態でした」と話す。

 有識者会議が結論を出した翌年9月、秋篠宮家に悠仁親王が誕生された。その一報に、当時の天皇陛下の元侍従の一人が「天祐だ」と涙を浮かべていたのを思い出す。悠仁親王誕生は、小泉内閣による皇統の“変質”をぎりぎりのところで押しとどめたのだが、確かに皇位継承の不安定な状態は続いている。しかし、親王誕生は、我々日本人が歴史を見つめ直して皇室の存在を確認する猶予を与えられたとも言える。拙速を避け、偏見を排して、皇室が例外なく男系で繋いで来た歴史と伝統の重みを考えるには、そろそろ“平成の呪縛”から解き放たれなければならない。

“皇室の本質”を衝いた反天皇学者の指摘が意味するもの

 小泉内閣が女系・女性天皇を認める動きを加速させている頃、ひそかにほくそ笑んでいた学者や政治家がいた。もともと天皇あるいは皇室の存在そのものに否定的な人たちである。憲法学者の奥平康弘氏(故人)もその一人で、平成16(2004)年の雑誌『世界』に載せた「『天皇の世継ぎ』問題がはらむもの」という記事は、逆説的ではあるが見事に本質を衝いていた。一部を抜粋する。

「何ぞしらん、性差別反対という、それ自体もっともな大義名分に促された一般大衆が、ポピュラーな政治家に誘導されて典範第一条を改正して『女帝』容認策をかちとることに成功したと、仮定しよう。よって以て『世継ぎ』問題はめでたく解消し、天皇制は生き延びることができることになる。しかし、この策は天皇制そのものの正当性根拠であるところの『萬世一系』イデオロギーを内において侵食する因子を含んでいる。男系・男子により皇胤が乱れなく連綿と続いて来たそのことに、蔽うべからざる亀裂が入ることになる。〈いや私たちは、『女帝』を導入して天皇制を救い天皇制という伝統を守るのです〉と弁明するだろう。だが、そんな『萬世一系』から外れた制度を容認する施策は、いかなる『伝統的』根拠も持ち得ないのである」「『女帝』容認論者は、こうして『伝統』に反し『萬世一系』イデオロギーと外れたところで、かく新装なった天皇制を、従来とはまったく違うやり方で正当化して見せなければならないのである」(編註:改行を省略)

 奥平氏がいみじくも指摘したように、「いかなる伝統的根拠も持ち得ない」象徴天皇制にしてはならないのである。

(注)「時の流れ研究会」の発表全文は、神社新報HPを参照

椎谷哲夫(しいたに・てつお)
元宮内庁担当記者。1955年、宮崎県都城市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。新聞社で警視庁、宮内庁、警察庁、旧運輸省などを担当。米国コロラド州の地方紙で研修後、警視庁キャップ、社会部デスク、警察庁を担当。40代で早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程修了。著書に『皇室入門』(幻冬舎新書)など。

週刊新潮WEB取材班編集

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