「ガンバの冒険」と「タイガーマスク」は50代と60代にどう影響を与えたか

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 今、組織のトップや幹部は、大半が50代から60代。この年代が何を考えているのか皆目分からないと頭を抱えている40代以下は少なくないだろう。両世代を読み解くキーワードは何か? ざっくり言ってしまうと、50代の精神構造の根っ子にあるのはアニメ「ガンバの冒険」であり、60代は同じく「タイガーマスク」である。その中身は――。

 どの世代も子供のころに読んだ漫画や、見たアニメから影響を受ける。では、50代を読み解くための作品は何かというと、「ガンバの冒険」に違いない。1970代で屈指の傑作アニメだ。

「ガンバの冒険」(日本テレビ、1975年4月~9月、全26話)

 総監督は「あしたのジョー」(フジテレビ、1970年)や「エースをねらえ!」(毎日放送、1973年)などを手掛けた故・出崎統氏、背景画を担当する美術監督は「タッチ」(日本テレビ、1985年)などと同じ小林七郎氏(87)、企画者は「キャプテン」(同、1980年)などを担当した吉川斌氏。つまり、当時の超一流のスタッフが結集して作られた。

 明るくて勇気のある町ネズミ・ガンバの冒険譚。船乗りネズミらと力を合わせ、白い大イタチ「ノロイ」から迫害されている島ネズミたちを救う。

 物語はガンバが親友のボーボと町から港にやってくるところから始まる。「海が見てみたい」というのが理由だった。

 港ではネズミたちが集まった賑やかなパーティーに参加し、船乗りネズミらと出会う。楽しい宴だった。だが、そこへ傷だらけになった島ネズミ・忠太が現れたことから、空気は一変する。

 忠太は訴えた。

「このままでは島のネズミが皆殺しになってしまいます。勇気のある方は一緒に来て戦ってください」

 その求めに対し、一度は全員が「おー!」「任せとけ」と声を上げた。ところが、敵がノロイと手下たちだと知ると、たちまち前言を翻す。

 ノロイの恐ろしさは広く知れ渡っていた。体長が並みのイタチの3倍以上ある上、悪賢く、催眠術まで使えるのだ。おまけに残忍だった。

 全員、忠太を見捨てる。誰だって我が身がかわいい。人間社会が投影された場面だった。

 いや、ガンバだけは違った。怯まず、島に行くと宣言する。

「オレは1人でも行くぞ!」

 ガンバは「なぜ島に行くのか?」と問われると、自分でも分からなかった。ただ、こう言う。

「海に出ろ、行けと、尻尾がうずきやがるんだよ!」

 制作者たちからの「勇気を捨てるな」「強者に負けるな」という強いメッセージを感じる。

 ガンバの勇気に触発されて、ほかにも5人の仲間が旅立つことになった。頼りないが、やさしい親友のボーボ、過去にノロイによって右眼を潰された腕自慢のヨイショ、ひねくれ者だが、信義に厚いイカサマ、医学の知識もある文学者のシジン、そして頭脳派のガクシャだ。ガンバと忠太を合わせた7人で島を目指す。

 しかし、島に辿り着くまでにも危難の連続。乗っていた大型貨物船が大型台風によって遭難したり、食料を求めて上陸した島で黒キツネに襲われたり。とはいえ、ガンバは一度も弱音を吐かなかった。

 なにより特徴的だったのはガンバが誰一人として見捨てなかったこと。出会った者たちとすべての仲間を。高齢者もケガ人も分け隔てなく命懸けで救った。ここにも制作者たちの強いメッセージを感じる。

 そんなガンバに共鳴し、仲間は次々と増える。特に頼もしかったのは、やはりノロイに苦しめられていたオオミズナギドリたちだ。ガンバたちを空から全面的に支えた。そんな仲間たちの存在がなかったら、ガンバたちは間違いなく海の藻屑となっていただろう。

 全26話だが、22話からはノロイとの死闘一色。息詰まる場面が続く。結局、ガンバたちは知恵を使い、力を合わせて、なんとかノロイを倒す。まさしく死にものぐるいだった。そして、自分たちによって島に平和が戻ると、早々に立ち去る。何もなかったかのように――。

 総監督の出崎統氏は海外にまで広く名が知られる巨匠。弱者が強者に勝つというストーリー展開を好んだ。「あしたのジョー」では元不良少年の矢吹丈とアルコール依存症の丹下段平のコンビが、エリートボクサーたちを次々と倒した。「エースをねらえ!」も平凡な少女だった岡ひろみが、トッププレーヤーになっていった。

 「ガンバの冒険」を見て育った50代の多くは、長い物に巻かれたり、弱者を斬り捨てたりしない生き方に憧れている。ただし、あくまで憧れである。理想と現実は違う。

 実際の50代はさまざまで、無能なのに威張り散らしていたり、ゴマスリが得意だったりする者も大勢いる。運悪く、そんな50代が身近にいる若い世代には、「『ガンバの冒険』を見なかったんですか?」と、問うことをお薦めしたい。

 次に60代の精神基盤の一部を担っているアニメは何かというと、「タイガーマスク」にほかならないだろう。

「タイガーマスク」(日本テレビ、1969年10月~1971年9月、全105話)

 原作者は「巨人の星」(日本テレビ、1968年)や前出「あしたのジョー」と同じ故・梶原一騎氏。作画は故・辻なおき氏。梶原氏は毀誉褒貶相半ばする人物だったが、この作品は戦中派の同氏らしいヒューマニズムにあふれている。

 主人公のタイガーマスクこと伊達直人は孤児院(児童養護施設)「ちびっこハウス」の出身。1947年当時、戦災孤児は全国に約12万3000人もいた。国が始めた戦争で親を失ったのに、戦後は満足な社会保障を得られず、辛苦を強いられていた。そんな孤児の中からヒーローを出したいというのが梶原氏の思いだった。ちなみに「あしたのジョー」の矢吹丈も孤児院出身だ。

 直人は悪役レスラーの養成機関「虎の穴」にスカウトされ、厳しいトレーニングを積んだ後、悪役レスラーとしてスターとなる。稼げるようになった。借金で苦しんでいた「ちびっこハウス」も救う。孤児たちには山のようにプレゼントを贈った。

 ただし、タイガーマスクであることは隠していた。金の出元について「金持ちの親戚の遺産が入った」などと説明した。マスクマンだから正体は明かせないし、なにより、ガンバと同じく恩着せがましくなることを嫌った。

 悪役をやめたのは「ちびっこハウス」のお姉さん役で、幼なじみでもあるルリ子から、子供たちに正しい道を示してほしいと訴えられたため。ルリ子はタイガーマスクが直人であることに薄々気づいていた。

 子供たちのために正統派レスラーに変身したタイガーマスク。だが、それは「虎の穴」への裏切り行為なので、次々と手強い刺客を差し向けられる。それでもタイガーマスクは反則を使わず、血みどろになって戦い、子供たちへの援助を続ける。

 最終回では「虎の穴」のボス、タイガー・ザ・グレートと戦った。ラスボスなのでケタ違いに強かった。タイガーマスクの仮面も剥いでしまう。子供たちに全てが露見した。これに怒り狂ったタイガーマスクは反則技の限りを尽くし、グレートの息の根を止めた。容赦なかった。

 試合終了後、直人は海外へ旅立つ。子供たちに反則技を見せてしまった上、無償の善意の真相が明らかになってしまったからだ。

 無償の善意――。「タイガーマスク」で育った60代はこの言葉に弱い。2010年12月から全国各地に次々と現れ、養護施設にランドセルを置いていったタイガーマスクたちを、特大級の扱いで記事にした新聞社のデスクや編集局次長は当時50代。現在の60代だ。これが実名の寄附だったら、おそらく小さなベタ記事にすらならなかっただろう。

 1980年代のプロレスブームの中核にいたのも「タイガーマスク」世代にほかならない。また、1981年に初代タイガーマスク(佐山聡氏、62)がデビューすると、所属する新日本プロレスの中継番組は人気が沸騰し、視聴率は25%を超えた。その人気を中心で支えていたのも現在の60代だった。

 無論、60代もさまざまで、偽善の人も大勢いるし、弱者に目もくれない人もいる。だが、そんな人は周囲の同年代から全く尊敬されない。この世代に無償の善意に憧れている人が多いのは確かだ。

 もし、苦手な50代、60代からカラオケに誘われ、断れなかったら、昭和歌謡ではなく、「ガンバの冒険」「タイガーマスク」の両主題歌を歌ってみるといい。どちらも名曲だ。世の中の裏側を見てしまった50代と60代も、きっと純だった少年時代を思い出すことだろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年3月30日掲載

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