新型コロナ、プロ野球開幕延期に思う【柴田勲のセブンアイズ】

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 1週間前、今コラムで、「無観客で構わない。センバツは絶対にやるべきだ」と書いた」けど、残念ながら中止となった。史上初の決定だ。

 もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのものだが、収束どころか感染はさらに拡大の一途をたどっている。関西地区の感染者も急増し、無観客とは言ってもこのままでは高校球児、関係者たちから感染者が出ないとも限らない。

 私は一縷の望みから「やるべきだと」言ったが高野連だって苦渋の決断だったろう。

 すでに高体連に加盟するテニス、ソフトボール、柔道など24競技の全国大会が中止に追い込まれていた。高野連は高体連に加盟していないが、無観客試合の方針に「なぜ野球だけがOKなのか」という批判に直面し、中止に舵を切らざるを得なかった。この部分も大きかったに違いない。

 プロ野球も3月20日に予定されていた公式戦開幕が延期となった。最短での開幕を4月10日に設定したというが、今後のウイルス拡大の状況次第ではどう転ぶか分からない。いまのところ、公式戦143試合、クライマックスシリーズ、日本シリーズを行う方針だという。

 しかし、ここに来て開催の是非が問われ始めてきた東京五輪だが、開催となると日程が非常に厳しいものになる。NPBも頭を痛めているに違いない。

 開幕日が延期となって選手たちの調整がどうなるかだ。一部には心配するプロ野球関係者もいる。それに4月10日と決まったワケではない。まだ、ずれ込む可能性がある。

 でも、私はあえて言いたい。それほど心配することはない。

 みんな一緒の横並びだ。練習禁止とか自宅待機ということではない。それに3月20日から予定されていたシーズン日程に合わせて練習試合が行われる。

 選手たちは練習や試合の中でキッチリと仕上げ、いつ開幕してもいいと自分の体調面のリズムを崩さないことだ。

 もちろん、気持ちの面でもプロとしてのモチベーションを保つようにすべきだ。2011年も東日本大震災の影響で開幕が遅れたが、選手たちはそれを乗り越えて、ファンを楽しませた。実績がある。

 むしろ心配なのは各球団のこれからだ。すでにオープン戦無観客で大きな損害が出ている。入場料収入や球場でのグッズ売り上げはなく、かと言って中継権料だって以前ほど高くはないと聞く。人件費、移動費、宿泊費だけは出て行く。開幕までの無観客試合が長引けば出費はかさむ。

 NPBは公式戦について「無観客でやることは前提として考えていない」としている。

 考えたくもないが、今後、このウイルス禍が収束どころか、ますますひどくなっていけばさらなる延期案だって考えられる。中止なんて声が出る可能性も捨てられない。

 選手の年俸や必要な諸費用を削ることはできない。球団経営はピンチに見舞われる。

 これを契機に球団経営を見直すところが出てくるかもしれない。親会社があっての子会社だ。その親会社の本業がコロナ禍によって落ちていたら二重のショックだ。

 とにかく無事、開幕にこぎつけてほしい。

 球場に詰めかけるファンの姿が見たい。開幕延期の報を聞き、こう感じた次第だ。

 それにしても、この1週間で世界がガラリと変わった。世界保健機構が新型コロナウイルスの感染拡大を「パンデミック」と位置付けた。世界的な流行を意味しているというが、まさに全世界的に影響を受けている。

 スポーツの分野も同様だ。ほんの一例だが、MLBの開幕延期が決まった。NBAがすでにシーズン中断、NHLも続いた。五輪野球・米大陸予選も延期だ。

 日本でもありとあらゆるスポーツ大会、文化的な催しなどの多くが中止・延期となり、さらに一般の生活にも暗い影を落としている。

 世界中に閉塞感が出始めた。

 家に閉じこもって沈んでいても仕方ない。最近、仲間たちとゴルフをやったけど、結構混んでいた。私と同じ考えと思うが、どちらかと言えば、年配の人が多かった。驚いたのは帰りに寄った飲食店の様子だ。つい先日までの賑わいはなくガラガラだった。いわば、閑古鳥が鳴いている感じだった。

 東京は集団でのお花見も自粛要請が出た。個人で楽しむ分にはいいのだろうが、これでは散歩して帰て来るのが関の山だろう。

 すべてに亘って自粛ムードがまん延している。ストレスが溜まる一方だ。皆さんも思うところがあるだろう。

 だが、相手はどこから忍び寄ってくるか分からない、目に見えないウイルスだ。

 終息する日は必ず来ると信じて、いまはジッと我慢の子だ。次回こそ明るい話題でいきたい。こう願っている。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年3月18日掲載

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