【新型コロナ】大相撲春場所は無観客でも懸賞金を出す「永谷園」 総額はいくらか?

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懸賞金でがっぽり

 懸賞金は1本7万円(税込)。うち1万円は日本相撲協会の事務経費、3万円は納税充当金として協会が預かり、年末調整で納税額の不足が生じた場合に使われる。余剰金は力士が引退時に返還されるという。3万円が力士の手元に残る。

 企業は1日1本以上、1場所15本以上で申し込みをし、1つの取組に5本まで懸けられる。

 永谷園は高見山関の他に、高見盛関(東関親方)、遠藤関、照ノ富士関をCMに起用。現在もCMに出演しているのは東関親方と遠藤関である。

「永谷園が最初に懸賞を出したのは、ぎこちない動きで“ロボコップ”と呼ばれた高見盛でした。高見盛は顔を紅潮させ、胸板をポンポン叩いて、かなりの人気でしたから、当初1本だったのが、3本、5本と増やしていった。これでかなりの宣伝効果があったと言われています。そして、次は甘いマスクで人気の遠藤ですね。懸賞は現在5本出しています」

 と語るのは、ベテラン相撲記者。

「遠藤のCMでは、明るい顔をしながらお茶漬けを食べたり、ちゃんこ鍋をつついているシーンがあります。でも、実生活の彼は、意外とネクラなんですよ。普通、幕内力士は取組で懸賞金を手に入れると、付き人を連れて散財するものです。だいたい焼き肉を食べたり、飲みに行ったりして、みな使ってしまう。これで次の取組のエネルギーになった。宵越しの金は持たないわけです。ところが遠藤は、懸賞金をもらっても、遊びに行かず貯金しているようです。白鵬も同様です。この二人は懸賞金をがっぽり貯め込んでいると言われています」

 そもそも、この懸賞制度はいつ頃から始まったのか。

「江戸時代に、素晴らしい取組があった時、見物客が自分の着物を土俵に投げたのが始まりだとか、あるいは、おひねりを花道に投げたのが始まりだとか、諸説あるようです」(同)

 戦後の昭和20年代は、米や味噌などの食料品が懸賞に出されることが多かったという。懸賞金として一定の額が定められたのは1960年の9月場所である。

「懸賞金の総額がいっきに増えたのは、若貴時代からですね。若花田(若乃花)と貴花田(貴乃花)の兄弟力士の人気はすさまじかった。1989年の九州場所の11日目から97年夏場所の2日目まで、満員大入りは666日間続きましたからね。7年以上にわたって、空前の相撲ブームが続いたことになる。これで人気のない力士にも、懸賞金が行き渡るようになりました」(同)

 1つの取組で懸賞数が最も多かったのは61本。2017年1月場所千秋楽の白鵬―稀勢の里などこれまで4回あったという。懸賞金の年間最多記録は、白鵬が2010年に獲得した2111本だった。

 それにしても、無観客で春場所は盛り上がるのだろうか。前売りチケットは販売開始から8時間で完売になったというが、

「相撲協会内で、春場所は中止すべきという意見もあったそうです。ただ、チケットの払い戻しだけで相撲協会は約10億円の損失となるそうです。そのためNHKの放映権料の5億円は何としても欲しかったようですね。懸賞旗が土俵を回っている時は、NHKは宣伝にならないようにカメラを引いて映すか、力士のアップに切り替えたりして懸賞旗が映らないようにするので、企業からすれば宣伝効果はほとんどありません。なのに、およそ半分の企業が懸賞金を出した。なかでも、懸賞の最も多い永谷園も従来通りということで、相撲協会も喜んでいるのではないでしょうか」(同)

 永谷園の広報担当者(前出)がこう言う。

「うちの懸賞旗はカラフルで、お茶漬け海苔、鮭茶漬け、梅干し茶漬け、わさび茶漬け、たらこ茶漬けとバリエーションも豊富でアイキャッチになります。力士の方には、観客がいなくても、少しでも土俵を華やかに感じていただき、励みになればと思っています」

週刊新潮WEB取材班

2020年3月10日掲載

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