梅宮アンナが明かす「梅宮辰夫」の最期 “パパに腎臓をあげる”と言うと…

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 6度にも及んだがん闘病、そして、人工透析の日々を経て旅立った梅宮辰夫には、“アンナパパ”としての一面がある。事実、ネオン街で名を馳せた“夜の帝王”の人生観は、愛娘の誕生で大きく変わった。梅宮アンナが初めて明かす、知られざる「辰兄」の最期――。

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〈俳優・梅宮辰夫がこの世を去ったのは昨年12月12日のことだ。享年81。家族と近しい知人のみを集めた葬儀で最愛の“パパ”を送り出し、四十九日を終えたばかりの長女・アンナ(47)が改めて胸中を明かす。〉

 あの日は、午前5時に娘のモモ(百々果)が私の寝室に飛び込んできたんです。

「ママ! ママ! “じっじ”が死んじゃった……」

 私が携帯の着信音に気づかなくて、モモに連絡が入ったみたい。うん、覚悟はしていたけど、やっぱり気が動転しましたね。歯磨きと洗顔だけ済ませて、娘とふたり寝間着姿のまま車に乗り込んで。都内の自宅からパパが搬送された小田原の病院に直行しました。

 厳密に言うと、心臓が止まったのは午前4時頃だったそうです。ただ、病院で蘇生措置をしているうちはまだ“死亡”と判断されないのだとか。7時半に私たちが病院に着くと、病室ではママ(クラウディア夫人)が泣き崩れていました。

 そして、お医者さんからこう言われたんです。

「梅宮さんには搬送直後から心臓マッサージを続けています。申し上げづらいのですが、すでに肋骨も折れている。アンナさん、どうしますか?」

 それを聞いた私は堪らなくなって、

「わかりました。もうやめてあげてください……」

 とだけ伝えました。

 人工透析も含めて病院にはお世話になったし、治療も最善を尽くしてくれました。ただ、いまだに違う選択肢はなかったのかなって考えてしまいます。

〈生前の梅宮は、6度目のがん闘病を初告白した本誌(「週刊新潮」)の記事(2019年3月14日号)で、渋谷区松濤の自宅を売り払って真鶴の別荘に移り住み、これまで避けてきた“人工透析”を受け始めたことにも触れている。〉

 人工透析を始めたのは延命のためにも仕方がなかった部分はあります。

 でも“延命”って、時に残酷なんですよ。パパの闘病を目の当たりにして、そのことを思い知らされました。世界中を飛び回って魚釣りをして、いつでも好きな物を食べて呑んで、豪快に遊んで。それこそが元気の源だった人だから、自由に動けなくなるだけで日に日に弱っていくのが分かる。

 元気な頃は100キロ近くあった体重も食が細ってからは50キロ台に。去年の秋口に家のなかで転んだときは、私が片手で抱き起こすことができました。ミイラのようにやせ細ってしまって、その頃には外を出歩くこともなくなった。芸能人だからそういう姿を見せたくなかったんでしょうね。

 本人も「俺はいま生きているって言えるのか」と自問自答していました。それはパパを見守っている家族も一緒。私もママも「もうここでやめようか」と何度、思ったことか。やっぱり可哀想だったから。

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