「常に物足りない」53歳のキング・カズが戦い続ける「バランス」とは

スポーツ 2020年2月15日掲載

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 今年、キング・カズこと三浦知良選手(横浜FC所属)は、13年ぶりにJ1の舞台に戻ってきた。今月26日には53歳の誕生日を迎える彼が今なお現役選手でいられる背景にはどのような思考法や練習があるのか。発売したばかりの新著『カズのまま死にたい』の冒頭には、現在のキング・カズの率直な心情が綴られている。年齢と戦いつつも、一方で若い時とは別の充実感を味わっている――その姿勢には、アスリートならずとも多くの人が勇気づけられ、励まされるのではないだろうか。同書から「プロローグ」を全文引用しよう。

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 ほの暗い闇の中を、仲間とともに走り始める。朝6時。湿り気を含んだ風に背中を押され、心拍数がほどよく上がり始めるとともに、頭上の月が消え、うっすらとグアムの夜が明けていく。

 冬のたびに自主トレで訪れているグアムは、僕がいちばん、ほっとできる場所だ。ここで何にも邪魔されずにトレーニングに打ち込んでいるうちに、自分というものが一新され、まっさらな充実感を手にすることができる。

 オフでしばらく休んでいると「そろそろグアムにいきたいな」とそわそわしてくる。グアムに通い始めたころは、来てもすぐに飽きていたんだけど、最近は10日でも20日でも、いくらでも飽きずにここにいられる気がする。まったく長く感じない。

 ビーチからも、にぎやかな繁華街からも離れた丘の上にあるトレーニング施設。トレーニングのことだけに最適化された場所、そこが僕たちたちにとっての「グアム」。観光客でにぎわう海岸沿いなんて、まだ一度も足を向けたことがない。

 ここにきて何がいいかって、年齢を忘れられることなんだ。

 トレーニングで負荷をかけていく。うめき、それを乗り越え、を繰り返すうちに「俺はもっとできるんじゃないか?」というポジティブな気持ちが高まっていく。そうやって自分と向き合っている間、僕は自分が何歳であったかということを、すっかり忘れてしまう。10代にしたのと同じことをしているうちに、あの頃に戻っていく感覚に陥る。40歳のときも、45歳のときも、50歳のときも、そうだった。

「ムイト アグア マータ プランタ、カズ!」

 去年1年間、ことあるごとに、所属する横浜FCのブラジル人フィジカルコーチからたしなめられた。チームの全体練習が終わり、もう少し体を追い込みたい僕がチューブトレーニングをやろうとする。すかさずフィジカルコーチが、さっきの言葉を投げかけて僕を制止にかかる。ひとりでは手に負えないとみたのか、隣の中堅選手の首根っこをつかまえてけしかける。「お前からもカズに言うんだ! いいか、ムイト アグア マータ、プランタ、だ!」

 訳すと「水をやり過ぎた植木は、枯れてしまう」。水をやらなければ植物は育たない。でも、水をやり過ぎても植物はうまく育たなくなる。

 走っていると気持ちよくなってきて、ついペースを上げたくなってしまう。でも、有酸素運動として脂肪を燃焼させることを目的としたランニングで必要以上に心拍数を上げれば、脂肪ではなく糖分が消費され、練習の目的と効果が変わってしまう。だから最近は、もっとやりたくなる自分を、うまくなだめつつ、抑えながらトレーニングするように気を配っているね。

 練習の負荷を上げることが、プレーやパフォーマンスの向上につながるかというと、必ずしもそうでもないことは重々分かっているんだ。ハードワークが「練習をこれだけやったぞ」という自己満足だけで終わりかねない恐れもある。グアムで自主トレに取り組むようになったのは37歳のとき。その年代になって、やり過ぎによる不都合な真実にようやく気づくというのは、なんとも遅すぎるんだけれど。

 でも、そうはいっても、もっとやりたく、なるんだよね。

 というわけで、ヒデ(中田英寿氏)と飯を食いに行ったりすると苦笑いされることになる。「明日からグアムなの? カズさん、またやり過ぎるんでしょ」。そう言われてみれば、かつて日本代表のトレーナーにもあきれ気味に言われたものね。「カズさんは、『やらないと気が済まない症候群』です」

 ただし弁解するわけじゃないけど、サッカーでも勉強でも夜のカラオケでも、全力でやるからこそ、何事も楽しいと思うんだ。中途半端にはせず、やりきる。

 いつでも、頑張れる。どんな状況にも、左右されずにやれる。たとえ雨が降っても、雪が降っても、悔しいベンチ外が続いても。常に「やるぞ」という気持ちを保てていられるのは、どんなときも「やりきってきた」からこそ、それが習慣として身についているからだと思う。全力でやることが、やり方として間違っているときがあったとしても、僕の人生ではそれは生かされている部分があるんだよね。

 サッカーも何もせず、気ままにブラブラして、夜の町へ繰り出して遊んでみても、全然つまんないんだ。楽しくない。練習をハードにやって、試合で出し尽くし、やりきるから、それに続くナイトライフも思いっきりエンジョイできる。で、心ゆくまで遊んだら、「……これだけ遊んだら、早くサッカーに戻らなきゃ」という気になってくる。この繰り返しが楽しくてね。だからここ数年、シーズンが終了してしばらくのオフは最初こそ羽を伸ばすんだけれど、じきに「早くグアムに行って、鍛えたいな」となるんだ。

 未明に起床して朝走りに出るのが、おっくうに感じるときもある。気が乗らない時も。でもそこで多少苦しくとも、やらないといい思いはできないぞと体のどこかで分かっている。つまり世の中、苦しみも楽しみも紙一重ということだね。

 この2020年は横浜FCで13年ぶりとなるJ1をめがけて、駆け出している。

「J1仕様」のトレーニングメニューがあるわけじゃない。舞台がJ1になるからといって特別に何かをするでなく、あくまでいつも通りで臨んでいる。ただ、J2から上がってきたチームがJ1に挑むのは簡単なことじゃない。チームとして自分たちが背伸びをするのか、普通でいくのか。どちらか一方ではダメで、バランスが難しい。

 自分についていえば、やれる準備を尽くし練習をやりきったとしても、やったことすべてが100パーセントの成果として返ってくるとは限らない。それがすなわち「年齢」というものなのかもしれない。負荷をかけないのも不安になるし、かけ過ぎてもリスキーになる。このバランスとも、今の僕は戦っている。

 ただ、楽しさという面では昔よりも増している気がするんだ。若い頃はエネルギーが有り余っていて、何でもできちゃう。何をやっても疲れない。むちゃをしても、寝不足でも飲み過ぎでも乗り切れちゃう。そうしたことが一つ一つ、そうはいかなくなってくる。一つに全力を注ぐと、その次も全力で、とはいかない。そうなるとよけいに一つ一つが大事になってくる。練習でも遊びでも、一つ一つを重く感じるし、「これが本当に大切なんだ」とかみしめるように向き合っている。一つにかける思いが強くなって、10年、20年前とは違った充実感があるというか。

 もし、35歳のとき、サッカーよりも興味があることができていたら、そこでスパッと引退していたと思うんだ。サッカー関連の商売で一もうけしたいとか、企業を興して事業に乗り出したいだとか。みんな、そういうのがあるじゃない? …………ないんだよ、僕は。プレーヤー・オンリー。サッカーをやることは大好きでも、サッカーを研究することは特段したことがないもの。

「もうグアムには行きたくないな」と感じ始めたときなんだろうね。僕が現役生活に別れを告げるとしたら。

 かつて横浜FCで関わった選手たちから、通話アプリ「LINE」などでメッセージを受け取ることがある。「チームで一緒になるまでは、カズさんはベテランによくあるように、別調整しているのかと思っていました。あんなに毎日、練習しているなんて思わなかった。一緒にやってみて、毎日どんなことがあっても手を抜かないカズさんの姿勢、ほんとに勉強になりました。自分にとって、それが財産です」。本当にうれしい。

 ここまでやってきて、あるいは「やり過ぎて」、結果として間違っていたこともあったかもしれない。でも、そういう反応をいただけるということは、人生としてはそれほど間違ってはいなかったということだよね。僕はそう思いたい。結果が出る、出ないは、また別の次元にあることだから。

 ブラジルでプロになってから、自分自身をここまで、こうやって自分で作り上げてきた。でも昨日はあくまで昨日、昨日までの実績は過去のものでしかない。今日からまた、新しい自分をつくっていく。新しい自分と、新しい現実と、僕は戦い続ける。

 周りの選手からすると、僕はモチベーションが下がったり、サッカーに対するテンションが下がったりするように見えるときがほぼ、ないらしい。「カズさんは365日、スーパーポジティブですね」だって。なんだか“バカなカズ”って言われているみたいだけど、それがいいのかもしれないね。何事も、僕は常に、物足りない。もっとやりたい。やっぱりそれが秘訣ですよ。

「またやり過ぎて。まったくカズさんらしいね」。そんな風に言われながら、走り続けていたい。サッカーが人生に返してくれるものを、楽しみ続けていたい。

(『カズのまま死にたい』より)

デイリー新潮編集部