新幹線無差別殺人犯「小島一朗」独占手記 私が法廷でも明かさなかった動機

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【解説】小島一朗が「刑務所」を切望するのはなぜか

【小島一朗が「刑務所」を切望するのはなぜか】
インベカヲリ★(ノンフィクションライター・写真家)

 裁判で小島被告は、被害者女性2人に対し「残念にも殺しそこないました」、殺害した男性に対しては「見事に殺しきりました」と言い放った。さらに、厳罰を求める被害者の調書が読み上げられると、拍手さえしてみせた。あまりに理解しがたく、被害者感情を考えれば許されないことだ。

 しかし彼は、こうして心証を悪くすることで、無期刑の判決が出るのを望んでいた。また、この「むしゃくしゃした出来事」を裁判で語らなかったのも、そのほうが無期懲役になる可能性が高い、と考えたからだ。手紙のやりとりと面会を通して、私には彼が本気で、「一生刑務所に入っていたい」と考えていることがよくわかった。

 彼にとって、人殺しまでして行きたい刑務所とは何なのか。これを考えるにあたって、まず彼の生い立ちから見てみたい。

 小島被告は愛知県生まれ。犯行当時22歳、元の名は鈴木一朗だ。同県出身の野球選手イチローにちなんだ同姓同名である。小島姓なのは、事件の前年に母方の祖母と養子縁組をしたからである。

 一朗が生まれると母方の祖父は、岡崎市にある自宅敷地内の一角に「一朗が生まれた記念」の家(以下、「岡崎の家」)を建てた。共働きの両親の都合で、一朗は3歳までをそこで過ごした。一方、年子の姉は、生まれたときから一宮市にある父方の実家で育った。

 母親は両家を行き来していたが、一朗が3歳になると転居し、一家全員が一宮の家に揃う。しかしそれを快く思わなかったのが、同居する父方の祖母だった。「お前は岡崎の子だ、岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」、それら祖母からの言葉が一朗にとって物心ついてからの最初の記憶だ。

 母親はホームレス支援の仕事で夜遅く帰宅するため、祖母が食事をつくり、一朗は「嫁いびり」のように躾けられたという。中学生になり反抗するようになると、祖母は包丁を振り回し、一朗の食事や入浴を禁じた。これに関し母親は調書で、「食事を与えないということはない。虐待はしていない」と供述しており、意見が食い違っている。

 しかしこの頃、父親にトンカチを投げ包丁を向ける事件を起こしており、その目的は「ご飯が食べられないから国に食わせてもらう」、つまりは少年院に入るためだった。これを機に父と離れ、母親の勤め先である“貧困者シェルター”へ入所するのだ。

 その後、定時制高校を卒業し、県外で就職したものの、出血性大腸炎で入院し10カ月で退社。「岡崎の家」に住むことになったが、同じ敷地内の別宅に住む伯父が猛反対し、暴力によってわずか10日で追い出されたという。

 以降、家出してのホームレス生活と精神病院への入退院を繰り返してきた。

選択肢は他にもあった

 彼にはすでに中学時代、家庭よりは「少年院」という発想があった。

「刑務所の素晴らしいところは、衣食住と仕事があって、人権が法律で守られているところ」

 と、彼は心底思っている。しかも、「(刑務所からは)出ていけとはいわれない」とも語る。彼は閉ざされた空間で、決まりきった日常を送ることが苦痛ではない。模範囚として真面目に働くことを望んでいる。拘置所に何冊も本を差し入れたが、彼はたぶん読書ができればいいのではないかと思う。

 やりとりを重ねてわかったのは、彼が幼い頃より「岡崎の家」を「私が生まれたときに建てられた、私が育つはずだった家」と考え、それに強い執着を見せていることだ。刑務所は「岡崎」の代償で「家庭を求めている」と彼は言う。だが、実際の「岡崎」にそれはなかった。

 このため、彼は「精神病院」と「ホームレス生活」に自身の落ち着き先を求めてきた。

 彼は裁判で「猜疑性パーソナリティ障害」に該当すると示されたが、幼少時より発達障害の疑いを指摘され、その後はADHD、自閉症スペクトラム障害、境界性パーソナリティ障害との診断を受けている。長じて職場でうまくいかず退職した後には、精神病院に2カ月任意入院し、祖母の意向で退院させられたものの、そこで生涯暮らすことも彼の選択肢だった。

 退院後はホームレスになるべく家出を繰り返し、行き着いた先が手記にある長野県木曽郡の景勝地「寝覚の床」だった。当初は家族に迷惑をかけまいと、事件を起こして刑務所に入るよりは、厳寒の地で餓死しようとしていた。しかし、祖母との最後の電話で「養子縁組を解消する」「小島家の墓に入れない」と言われたとして刑務所に入ることを決めた。そして実行を迷っているところで、手記の出来事が起きた。

 当然、そんな理由で殺人を正当化できるはずがない。

 しかし、彼はそれを「天啓」としてとらえたのだと思う。

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インベカヲリ★
1980年東京生まれ。編集プロダクションを経て、写真家兼文筆家に。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』、著作に『のらねこ風俗嬢』(忌部カヲリ名義)など。
1月8~20日には、恵比寿・America-Bashi Galleryでインベカヲリ★氏の写真展が開催される。

週刊新潮 2019年12月26日号掲載

特集「不条理極まる『新幹線無差別殺人犯』『小島一朗』独占手記 私が法廷でも明かさなかった動機」より

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