日韓問題、みんなが記憶喪失になれば…(古市憲寿)

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 日本は2020年で戦後75年を迎える。しかし慰安婦や徴用工など日韓の歴史問題を見ていると、まだしばらく「戦後」は続きそうだ。

 ノルウェーに留学していた時、韓国からの留学生と歴史について議論したことがある。韓国併合、慰安婦、竹島(独島)など一通り話した後、辿り着いた結論が「みんなが記憶喪失になればいいのにね」。20世紀の悲しい記憶がすっかり消えてしまえば、日本と韓国は友好国になれるんじゃないか。もちろんその時は冗談半分だった。

 しかし現代の政治学では歴史の「忘却」が真面目に議論されている(多少文脈は違うが、飯田芳弘『忘却する戦後ヨーロッパ』参照。いい本)。それどころか忘却がなければ、戦後ヨーロッパの復興もあり得なかったという意見まである。

 戦争中、フランスをはじめ数々の国がナチスの侵攻を受けた。被害を受けた国は、戦争が終わってしばらくはドイツへの恐怖が生々しく残っていたはずだ。

 しかし戦争から立ち直るためには、いつまでもドイツを憎んでばかりはいられなかった。ドイツの戦争犯罪を徹底的に追及するよりも、ヨーロッパの国々は経済協力を選んだのである。

 象徴的なのがフランスとドイツの和解だ。歴史上、何度も戦争してきた両国でさえ、今はEUとシェンゲン協定に加盟していて、国境での出入国管理もない。

「忘却」は決して特異な現象ではない。たとえば日本国も様々な「忘却」の上に成立している。近代日本成立の過程では、アイヌや琉球に対する「侵略」もあったし、旧幕府勢力との内戦もあった。

 今でも怨恨が完全に消えたとは言えないが、長州と会津の対立は日本と韓国の対立よりもだいぶマイルドだ。「やっぱり戊辰戦争は許せない」と言って、旧会津藩の人々が内戦を始めそうな気配はない。それは「忘却」が機能しているからだ。

 よく歴史では「記憶」の大切さが語られる。特に直接の戦争経験者が減少する中で、戦争の記憶をいかに継承するかが問題になる。しかし世界中の人々が、歴史上の全ての戦争を生々しく記憶していたらどうなるだろう。「記憶は正義の友であるかもしれない。しかし平和の友であることはまれだ」という言葉まである。

 そうは言っても一方的に「忘却」を押し付けることはできない。特に日本が韓国に「忘却」を強いたら反発は必至だ。また一口に「忘却」と言っても、お互いに覚えておきたいことと忘れてしまいたいことは一致しない。日本は統治時代の悪政を忘れがちだし、韓国は日韓基本条約を忘れがちだ。

 このままだと日韓は戦後100年を過ぎてもいがみ合っていそうだ。しかし16世紀に起こった豊臣秀吉の朝鮮出兵はさすがに外交の道具にはならない。現代の感覚からすれば秀吉はとんでもないことをしたにもかかわらず、である。ということは、25世紀にでもなれば太平洋戦争の「忘却」は済んでいるのだろう。途方もない未来だ。せめて21世紀中に何とかならないものか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年12月19日号掲載

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