高倉健の養女は元女優でバツ3 「若い頃からきれいでチヤホヤされて…」義母が明かす素顔

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「高倉健」実妹が嘆く「非情の相続人」の肉親排除(3/3)

 このたび『高倉健、その愛。』を上梓した高倉健の養女・小田貴月(たか)氏の振る舞いに、健さんをよく知る関係者らからは嘆きの声が聞こえてくる。血縁者に遺骨と対面をさせない、健さんが大事にしてきた水子地蔵を破壊する……など、著書では理由が明かされていない極端な排除主義ゆえである。

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 他方、また違った複雑な感情をもって養女を見つめてきた人物がいる。東京・板橋。都の住宅供給公社が1957年に造成した長屋作りの団地の一室で、養女の義母・河野美津代さん(86)が打ち明ける。

「私が旦那(養女の実父)と暮らし始めたのは昭和の終わる頃。それから半年後くらいですかね。旦那の母親がこっちに来て一緒に暮らすことになったんです。そこで貴さんは私に気を遣って家を出て行くことになりました。その頃、貴さんは20代前半で女優とかをやっていました」

 養女の両親は離婚し、それぞれ新たに伴侶を得ている。美津代さんの言葉の通り、養女は「貴倉良子(たかくらりょうこ)」の名で芸能活動を展開。橋田壽賀子や山田太一といった名脚本家のドラマで重要な役を演じたこともあった。

「その頃、貴さんは画家の先生に付いて、海外を回る仕事もしていました。それでフランス人と出会って最初の結婚をしました。その後に離婚してNHKのプロデューサーと再婚したものの、“お金をちっとも出してくれない”とかいう理由で離婚。それからまた、どこの国か忘れましたが外国人と再婚。でも、すぐにこれも離婚。恐らく、健さんと出会ったのは、その後くらいじゃないですかね」

 健さんが亡くなる少し前にはこんなことがあった。

「実のお母さんと一緒に突然、ここに来たことがありました。ちょうど旦那が前立腺がんで手術をした時でした。旦那は家にいなくて、私が対応したんですけど、30万円が入った封筒を渡してきたんです。あまり会話はありませんでした。恐らく、“父をお願いします”っていう意味だったんでしょうね。それっきり、こちらには、来ていません」

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