日覺昭廣(東レ株式会社代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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 飛行機の機体に使われる炭素繊維に、海水を淡水化する水処理膜。東レが誇るこれらの素材は、20年30年と長きにわたる研究・開発の末に生まれた。短期間で利益を追求する金融資本主義に侵食されることなく、日本型経営による社会貢献を掲げる素材メーカーのこれからのビジョン。

佐藤 東レといえば、繊維は繊維でも航空機材に使用される炭素繊維(カーボン繊維)を開発した会社で、国際的にも高く評価されていますよね。

日覺 ええ、ボーイング787の機体などに使われています。

佐藤 軽くて丈夫で硬い炭素繊維は兵器転用の問題もありますから、外交の世界でも注目を集めてきたわけですが、開発には本当に長い年月がかかったそうですね。

日覺 1960年代にスタートして、トレカという商品ができたのが1971年です。部分的に飛行機に使われるようになったのは1975年で、1990年には主要部材などに採用され、2000年代になって機体全体に使われるようになりました。

佐藤 日覺さんが入社されたのは?

日覺 1973年です。

佐藤 では、ほぼ歩みが重なっているわけですね。ほかにも海水を淡水にする水処理膜なども長い時間がかかっているそうですね。

日覺 これも始まったのはかなり前です。1960年、翌年大統領になるJ・F・ケネディが海水を淡水に変えると言い出して、世界中で研究がスタートしました。東レも1968年から取りかかったのですが、商品化できたのは1980年です。それまではまだ原油が1バレル5~10ドル(現在は65ドル前後)と安く、石油を燃やして海水を蒸発させるという方法が主流でした。だから1本10万円もする水処理膜は高くて売れなかった。このため海水淡水化では普及せず、半導体製造に必要な「超純水」を作るために使われていました。でもその後も技術を磨いて、生産方法も改良してコストを下げ、2万円台になった。その頃、原油が50ドルを超すようになって、蒸発法は採算が合わなくなったんです。それでようやく使われ始め、今、世界の大型海水淡水化プラントでは私どものRO膜が50%以上のシェアを占めています。

佐藤 水は極めて重要で、歴史を見ると、水のインフラによって国の形が変わってくるんですね。ギリシアは水のインフラを造らなかった。だから国が都市国家のサイズ以上に広がらない。一方、ローマは造ったから、巨大帝国になれた。

日覺 ローマは町の中を水道が走っていますね。

佐藤 現代でも、中国は恒常的に水不足ですよね。すると海水の淡水化は死活問題になってくる。

日覺 降雨量もありますが、内陸の方に行くと、水が汚染されていますからね。

佐藤 だから沿岸で海水を淡水化して、パイプラインで内陸に送り出すようになるかもしれない。

日覺 そうなると思いますよ。

佐藤 いまは石油やガスのパイプラインしか注目されませんけど、これからは水のパイプラインが各地に張り巡らされる時代がきますね。

日覺 水は生命線ですから。

佐藤 東レは水処理にかなり早い段階から取り組まれてきた。経営陣に長期を見通した戦略的視点があったわけです。

日覺 長期的な視点で、これから世の中に何が必要になるのか、東レはそういった観点から、積極的に素材を開発しています。東レの経営の3本柱は、長期の展望、中期の課題、今の問題と分けて考えることで、10年後20年後の世界がどのようになるのか、方向性をしっかり検証して先取りし、それを中期の計画に落とし込んでいく。研究開発費は700億円強なんですが、3割以上は長期の研究開発に使っています。

佐藤 大きな金額ですね。でもそれだけ長期に及ぶと、研究開発に従事する人たちのモチベーションを保つのはたいへんじゃないですか?

日覺 そこは東レのDNAだと思うんですね。

佐藤 企業文化ですか。

日覺 米デュポン社とは異なる製法で、ナイロンを独自に開発していたという会社ですから、世の中にないもの、革新的なものを作るというDNAがある。それがモチベーションになっていると思います。

佐藤 長期にわたる研究開発の間も、企業としては儲けなければなりませんよね。そこは難しくないですか。

日覺 炭素繊維の場合は、釣竿とかテニスラケットを作りながら利益を出し、研究開発を進めていきました。もともと飛行機を飛ばしたいという目標はありましたが、いきなり採用されるはずがない。じゃあ何に使えるか、会社でアンケートを取ったら、ゴルフのシャフトやラケット、釣竿が出てきた。

佐藤 実に興味深い。

日覺 結局、釣竿を作る技術があったから、ボーイング社の要求に応えられたんですよ。航空機に使うためにはものすごく精度を要求される。何ミクロン、コンマ何ミクロンの厚み、というレベルですから。それは釣竿の、先端の細い部分を作る技術があったからできた。大きくしなっても折れない強度があり、10メートルで200グラムと軽量の釣竿は、1本150万円くらいする。それを本物のマニアの方々が買って、研究を支えてくださった。

佐藤 釣りが趣味の人は、経済合理性でやっていないですからね(笑)。

日覺 私は「極限追求」という言葉が好きなのですが、極限のものを開発していれば、新しい発見があり、いずれその発見を必要とする用途のニーズが出てモノになると思っているんです。

佐藤 そうした例がいろいろあるんですね?

日覺 フィルムなどでも、光学特性とか厚みムラなどを徹底的に研究していたのですが、80年代に液晶テレビが出てきて、その部材の一部に採用できることになった。やはり技術を磨き続けていくことが、素材メーカーにとっては重要だと思います。

佐藤 長期にわたる基礎研究は、アメリカやロシアなら、軍産複合体がやっている。研究開発もそこだけは、性急に結果を求めず、お金をいくらでも投入します。インターネット技術も軍事技術から出てきているわけですよね。ところが日本の場合、そこを基本的に民間が担っている。だから民間の活力が本当に重要です。

日覺 そもそも最初に狙った用途に使われるものって、ほとんどないんですよ。

佐藤 薬品だってそうですね。風邪薬として作ったら副作用で眠くなってしまう。それなら睡眠導入剤として使おうとか、避妊薬でいろいろコントロールできるなら、逆に排卵誘発剤として使えるだとか。

日覺 そうそう。

佐藤 副作用のほうがメインになることがある。

日覺 それが素材開発の醍醐味というか、面白いところですね。

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