織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 「僕は“関大の女帝”に排除された」

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厳しい濱田コーチの指導

 だが、そんな名コーチには別の一面があった。教え子のひとりが振り返る。

「スケートへの思いが強い濱田コーチの指導は非常に厳しく、“怖い”と感じることもありました。うまくジャンプが跳べないと“コラ!”“何で跳べないんだ!”という怒鳴り声がリンク中に響く。成長期の女子選手が太って動きのキレが悪くなると“このデブ!”と一喝することもあった。フィギュアスケートは体重管理が大事なスポーツなのでコーチの気持ちも分からなくはありませんが……」

 先の関大関係者も、

「リンクのフェンスを蹴飛ばして教え子たちを威圧したり、ジャンプがうまく跳べない子の髪を掴んでリンクに叩きつけたこともある。こうした“指導”が原因となって、関大のリンクで練習するのを止めた子どももいるくらいです」

 と打ち明けるのだ。

 今年1月、そんな濱田氏と織田の間に、決定的な亀裂が走ることになる。

(2)へつづく

週刊新潮 2019年10月31日号掲載

特集「『織田信成』初激白! 僕は『関大の女帝』に排除された」より

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