織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 「僕は“関大の女帝”に排除された」

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「アンタは間違ってる!」

 ブログへの書き込み以降、沈黙を貫いてきた織田。

 その間、「週刊文春」(10月17日号)では、女子選手(A子さん)が、織田の指導チームから濱田氏の指導下に移ったことが辞任のきっかけと報じた。記事には、濱田氏がA子さんや織田らと話し合いを持ち、そこでA子さんの母親が〈「信成先生はいつもいない。これだけ見てもらえないのなら、A子は上手くならない」と訴えた〉とある。だが、当の織田は首を横に振る。

「全く事実ではありません。彼女が濱田チームに移りたいと言うので、僕自身が濱田先生に声をかけて話し合いました。彼女は“憧れの宮原選手のようになりたいので近くで練習させてほしい”と話していた。最後は笑顔で送り出しましたよ」

 他方、関大関係者に取材を続けると、「織田さんへの嫌がらせは、彼が監督に就任した当初から始まっていた」との証言が得られた。

 この点について織田は、

「確かに、僕が監督に就いた直後にこんなことが起きました。関大スケートリンクには選手たちの安全を図るために、“1人のコーチがリンクで同時に指導できるのは3人まで”というルールがあります。ところが、“濱田チーム”のサブコーチが5人以上の選手をリンクで8の字に滑らせていたのを目撃したのです」

 現在の関大スケートリンクでは3チーム体制が敷かれ、ひとつは織田と、その母親でフィギュア選手でもあった憲子さんがコーチを務める織田チーム。その他に濱田氏のチームと、長野五輪代表だった本田武史氏のチームがあり、それぞれが別個に選手を指導している。

「濱田チームの選手たちが高速で滑っていたこともあって、僕は正コーチである濱田先生に“危ないのでやめてもらえませんか”と伝えました。しかし、“アンタは間違ってる!”と激昂されてしまった。思いもよらない反応でしたよ。だって、このルールを作ったのは彼女自身なんです。なぜ怒鳴られたのか全く理解できませんでした」(同)

 まもなく、関大関係者は「濱田コーチがあからさまに織田さんを無視する」姿を目にするようになった。

「ええ……、そうですね。スケート場で僕とすれ違いそうになると、濱田先生は直前で“回れ右”をしてしまう。僕とは口も利きたくない様子でした。濱田先生が僕の方を見ながら他のコーチとヒソヒソ話をすることも増えました。陰では“織田君は監督になってエラそうになった”“監督の権力でスケート部の伝統を変えようとしている”などと嘘を言いふらされて精神的に追い込まれたのです」(同)

 新人監督には「女帝」の洗礼が徹(こた)えたようだ。フィギュア関係者が言う。

「学生を直接指導するのはコーチなので、自然とコーチの存在感は大きくなる。とりわけコーチ歴の長い濱田さんは“女帝”と呼ばれるほど、部内で影響力を誇るようになりました。もちろん、指導者としての実力は折り紙つきです。かつての女子フィギュアは浅田真央や安藤美姫ら東海勢の活躍が目立ちましたが、最近は兵庫出身の紀平、京都出身の宮原、本田真凛といった関西勢の成長が著しい。この3人を育て上げた立役者が濱田さんなのです」

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