囲碁最年少名人・芝野虎丸の作られ方――兄が語る「常軌を逸した熱中生活」

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1日10時間

「このころ、私と虎丸は家にあったノートパソコンで囲碁のネット対戦ばかりしていました。日常会話はほとんどなく、寝るときにちょこっと喋るだけ。私はプロになりたかったので、父に相談したら、いろんな道場を調べてくれたのです」

 それが、新名人の師ともなる洪清泉(ほんせいせん)四段の道場だった。毎週末、10歳の兄は8歳の弟を連れ、自宅のある神奈川の相模原から東京の市谷の道場へと通った。

「1年後には2人ともかなり強くなっていました。1日に10時間は囲碁の勉強をしていましたから。私は、朝4時に起きて登校までの3時間。学校では朝の読書タイムや休み時間すべてを勉強にあてて約2時間。帰宅後は夜10時ごろの就寝まで技術書やネット対戦で5時間。とにかく1年365日、囲碁から離れたくなかった。そんな私を、虎丸は真似ていたんです」

 いささか常軌を逸した熱中ぶりとも見えるが、プロになるには、ここまで突き抜けないとダメなのだろう。突き抜けるといえば、

「一番上の東大生の姉も、夜の7時に寝て深夜の2時に起き、リビングで勉強するという生活を送っていましたね。妹は生活サイクルが合わなかったので、どれだけ囲碁に打ち込んでいたかは分かりませんけれど」

 そんな子どもたちの囲碁の勉強は父親が管理していた。

「私と虎丸の囲碁の勉強量をノートに記録してくれて、たまに、ご褒美30円とかをもらっていました。あと、2人に囲碁の本を千冊ほど買ってくれた。いまでも『張栩(ちょうう)の詰碁』『碁の戦術』『ヨセ・絶対計算完全版』といった書名は憶えています。私は進学しましたが、虎丸は、私がお話しした生活を続け、高校は行かずプロになると決めた。中学も週4日を午前で早退し、1日は休んでいましたね」

 すべては、囲碁の勉強時間を増やすためだ。

「それで虎丸は14歳でプロになり、名人となった。私は、彼はものすごい勉強量をこなして登り詰めただけという気がしてなりません。そしてそれを、父が全力で支えてくれた、と」

 かように育てられた同門2人の「龍虎相搏つ」タイトル戦をいつか見てみたい。

週刊新潮 2019年10月24日号掲載

ワイド特集「認知のゆがみ」より

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