裁判では分からない「結愛ちゃん虐待死事件」の真実 雄大容疑者を苦しめた“実の両親”

社会2019年10月15日掲載

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 目黒区女児虐待死事件で、義娘である船戸結愛ちゃん(当時5歳)を死へ追いやった船戸雄大被告(34歳、以下、表記略)に、今日、東京地裁は次のような判決を下した。

――懲役13年。

 私は雄大や妻の優里(27歳、懲役8年)の取材を行ったが、裁判を傍聴して感じたのは公判で語られた話と、取材で明らかになった事実に少なからぬ「ズレ」があったことだ。

 公判では、検察側も弁護側も都合の悪い事実を隠したがるものだ。結果として、そこで明らかになることと、現実の乖離が起こる。

 では、隠されていた話とは何だったのか。判決が出た今、時系列に基づいて主なことについて述べてみたい。

 公判で明らかになったことの1つは、雄大の不安定な遍歴だ。

 雄大は大学を卒業して上場企業に勤めるが、仕事の精神的ストレスから会社を辞めて実家のある北海道にもどり、キャバクラで黒服として働いたと語った。その後、彼は知人に誘われて香川県高松市に移り住み、同じくキャバクラで黒服として勤務した。

 この店で知り合ったのが、ホステスである8歳年下の23歳だった優里だ。優里には離婚した前夫との間に子供がいた。結愛ちゃんである。

 雄大は優里の妊娠をきっかけに入籍し、結愛ちゃんを養子にした。が、結婚から間もなく、雄大は連日優里に対して1~3時間に及ぶ「説教」という名のDVを行った。日常の細かなことを批判し、反省文を書かせ、「デブ」などと罵倒して摂食障害に追い込んだのだ。結愛ちゃんにも朝5時から小学生レベルの勉強を強いて、言うことを聞かなければ暴力をふるった。

 これが今回の事件の発端となる暴力の発火点だ。公判で、雄大は理想的な家庭をつくることを目指して行った指導やしつけのつもりだったと弁明した。一方、優里は雄大の言葉の暴力によって客観的な思考ができなくなり、虐待を止められなかったと主張。これによって、暴力的な雄大が、8歳年下の優里をDVで服従させ、義娘の結愛ちゃんを虐待したという構図ができ上がったのである。

 しかし、雄大や優里を良く知る人たちの話を聞くと、異なる関係性が浮かび上がる。

 雄大は人1倍プライドが高く、バスケサークルのキャンプテンをつとめて練習場や打ち上げの場所を用意するなどリーダーシップもあった。一方で、理想が高く、自分がいかに仕事の上で優秀化かを誇張して話してしたり、年下や気の弱い子に対して上から目線で物を話したりするところがあった。

 優里の方は、香川県の善通寺市で4人きょうだいの末っ子として生まれ育った。兄や親族が逮捕されるなど、地域では肩身の狭い思いをして過ごしていた。高校卒業後、間もなく妊娠して結婚するも、DVが原因で離婚。地元にいい仕事がなかったため、毎晩、高松市のキャバクラへ働きに行った。

 優里は寂しがり屋で恋に溺れるタイプだったらしく、同僚の話ではキャバクラ店でも数人の黒服と関係を持っていたという。シングルマザーとして地方で先の見えない暮らしをする孤独や不安があったのだろう。周囲の友人もほとんど将来の見通しが立たない若い子持ちの女性たちだった。

 そんな中で出会ったのが、雄大だった。彼は「大卒」で「東京の上場企業」で働いていたことを自慢げに語り、「この店は俺がいなければ回らない」と豪語していた。運動神経もよく、博識で話も楽しい。優里は瞬く間に心を奪われた。

 2人の共通の友人は語る。

「優里は雄大にベタぼれで、『ドストライク』だって言ってました。彼女から猛アタックして付き合いがはじまったんです。裁判でDVがあったといわれていた時期も、俺らから見ればすごく仲良くしてましたよ。優里は雄大のことを大好きで仕方がないって感じで、雄大も亭主関白っぽく振る舞ってました」

 雄大にとって年下の弱い立場の優里は自分を良く見せるのに格好の相手だった。彼は結愛ちゃんをかわいがり、旅行へつれて行ったり、好きなものをプレゼントするなどして心からかわいがった。優里にしてみれば、雄大は自分と娘を不安定な生活から救い上げてくれる存在だった。

 雄大は、そんな期待に応えるべく、優里の妊娠と同時に結婚を決意する。

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