曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター、戒厳令の可能性

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空気は「過去2回」と似ていた

――2回目は?

鈴置: このクーデターで政権を握った朴正煕大統領が、1979年10月26日に暗殺されたのがきっかけとなりました。16年間も続いた、いわゆる「軍事独裁政権」が突然に崩壊したことで、韓国は民主化に湧き「ソウルの春」と呼ばれました。

 ただ、権力の帰趨も不透明になりました。そこで暗殺事件のどさくさの中、力を溜めていた全斗煥(チョン・ドファン)国軍保安司令官らが1979年12月12日、不安定な政局を収めると称して粛軍クーデターを敢行、成功しました。

 韓国経済新聞の社説のどこにも「こんなことやっていたらまた、クーデターが起こるぞ」とは書いてはありません。でも、少し勘のいい韓国人ならそう読むでしょう。

 朴槿恵政権が弾劾により倒された。2017年5月から権力を握った左派の文在寅政権は「積幣清算」――過去の弊害を一挙に正す――を謳い、保守勢力の根絶やしに動きました。

 朴槿恵、李明博(イ・ミョンバク)の前・元大統領に加え、保守政権時代の最高裁長官まで逮捕しました。

 朴槿恵政権の言いなりに動いたとして検事や軍人を捜査。この中から4人の自殺者が出ています。「やられる側」に回った保守は当然、死に物狂いで左派政権を倒そうとします。

 曺国法務部長官の任命問題も本質は左右の権力闘争です。文在寅政権は左派弾圧を担ってきた検察から権力を奪う計画です。さらには新たに設立する公務員監察組織を通じ、検察をはじめとする保守勢力に報復すると見られています。

 この「検察改革」を任されたのが文在寅大統領と近い、法学者の曺国法務部長官でした。検察が自らを指揮する権限を持つ法務部長官の家族の不正事件を捜査し、引きずり降ろそうとする異様な状態に陥ったのも、自分たちが「やられる側」になったからです。

 左右はどちらかしか生き残れない最終戦争に突入した。その戦いの手法が双方の支持者を動員する大衆集会とデモだったのです。過去2回のクーデターの時と似てきていたのです。

メディアが左右対立に油

――そこで韓国経済新聞は社説で「街頭政治を排し、代議制民主主義を守れ」と訴えたのですね。

鈴置: そうです。しかし、この社説は逆の結果を生んだ――街頭政治を煽ったのです。「代議制を守れ」と主張すると同時に「それを壊した責任は左派にある」と厳しく非難したからです。先ほどの引用に続く後半の一部を翻訳します。

・大統領と与党が露骨に「曺国は退陣させず」と宣言した直後に、大規模デモが起きたことにも注目せねばならない。
・無条件に曺国を守る姿勢なら「問題は大統領」との声がさらに高まるだろう。国民を街頭に追いたてる政治は与野すべての失敗だが、国政を主導する与党により大きな責任があると見なければならぬ。

 韓国経済新聞は「代議制民主主義の崩壊」を指摘しましたが、結論は政権批判でした。保守の牙城、朝鮮日報も10月4日の社説「常識を裏切った大統領1人が呼び起こした巨大な怒り」(韓国語版)で「民心を街頭での力の対決に追いやった」と、同様の手口で政府・与党を非難しました。

 すると政府に近い聯合ニュースが「代議制民主主義の崩壊」を論じつつ、検察の責任を持ち出しました。「政治が消えた『広場』VS『広場』の対決…極度の国論分裂を憂慮」(韓国語版)です。

 10月4日14時49分になって配信したことから見て、朝鮮日報などへの反撃を狙ったと思われます。

 この記事は冒頭では「進歩(左派)と保守が競争して数の対決に出れば、分裂の政治を加速する」「与野の指導部が集会やデモを支持層の結束に利用すれば、政治不信を深化し代議制民主主義の危機を生む」などと、中立の立場で「政治を憂えて」いました。

 しかし「何か政治的な意図があるのではないかと疑われるほどに検察が(曺国法務部長官一家に対し)過度に捜査し、その結果、政治が保守と進歩に分かれて、新たな対決の街頭政治に転落した」との匿名の与党政治家の発言も引用しました。要は「代議制民主主義の危機を呼んだのは保守陣営の検察である」と指弾したのです。

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