京アニ放火殺人 警察はなぜ被害者実名報道を決断したのか 元警察官僚、古野まほろ氏が分析

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全て出すのも、全て出さないのも問題がある

――いっそのこと、「全て実名とする」というルールの方が分かりやすいのではないか。

「いや、そもそも公務員には守秘義務がある(国家公務員法第100条・地方公務員法第34条)。原則として個人情報を提供してはならない義務もある(行政機関個人情報保護法第8条)。犯罪捜査については秘密厳守義務もあれば(犯罪捜査規範第9条)、被害者又はその親族の心情を理解する義務・その人格を尊重する義務もある(同第10条の2)。

 要は、これまでの実例の積み重ねはともかく、被害者の方・被害者遺族の方の情報を『出さない』のがむしろ法令の原則だ。だから、全て実名とするルールというのはあり得ない。

 ところが他方で、前述のように、国民の『知る権利』、メディアの『報道の自由』は憲法上の権利なので、そうした守秘義務等を絶対のものとし、あらゆる実名を発表しないというのもまた適正でない」

――全て出すのも、全て出さないのも問題があるということか。

「そうなる。すると結局、個別具体的に、一件一件ごと、ケースバイケースで、発表するしないを判断せざるを得ない。ちなみにこの『ケースバイケース方式』は、『どのような場合に公務員の守秘義務が解除されるか?』に関する行政実例で採用されている考え方でもある。

 しかも、それに加え、今般のような実名発表に関しては、そうしたルールがより具体的に、閣議決定までされている。閣議決定であるから、行政の一員である警察は、そのルールを遵守して、実名発表の是非等を判断することになる」

――その閣議決定とはどのようなものか。

「『犯罪被害者等基本計画』(平成28年4月1日閣議決定)がそれである。現行のものは第3次計画だが、計画そのものは平成17年12月から存在している」

――そこに、実名発表の基準などが定められているのか。

「実名発表とするかどうかにつき、警察が、どのような配慮をしなければならないかを規定している(第2の2(7)のオ)。

 具体的には、

『警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配意する』

とある。

 ポイントとなるのは、要は、(1)被害者の方等の意見+プライバシーの保護と、(2)メディアの要望+発表の公益性を、(3)総合的に勘案し、(4)個別具体的に判断するということ……もっとシンプルに言えば、『(1)と(2)を一件一件熟慮して天秤にかけろ』ということだ」

――それは、平成28年なり、平成17年なりに決められたルールなのか。

「違う。それ以前から、記者発表におけるルールとして定着していたものが、平成17年に改めて明文化・文書化されたに過ぎない。また重ねて、行政機関としては当然の内容だ」

――そのルールによって、今回は、メディアの要望と発表の公益性の方に天秤が傾いたと。

「そういうジャッジを京都府警察がしたということだ。

 そのことについては、京都府警察の捜査第1課長が、『社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した』と説明しているとおり。この言葉遣いからも、前述の閣議決定におけるルールに沿っていることが分かる」

被害者の実名発表をしていない「相模原事件」

――ルールがあまりに一般的・抽象的すぎるのではないか。それに、警察が恣意的に公表・非公表を決めるのは、マスコミの「知る権利」を踏まえれば極めて不適切では。

「事件が100あれば100全て関係者も状況も異なる。例えば、『どんな場合に逮捕状を請求すべきか』『ガサ入れの日程はどう決めるべきか』『職務質問はどんな対象について実施すべきか』といった判断について、一律で詳細なルールを定めるのは不可能だろう。それはまさに、事案ごとシチュエーションごとの『生きた』個別具体的の判断による。警察の権限と責任における判断による。そこに警察の恣意があれば、裁判所の統制を受ける。

 なら、報道発表の在り方・情報提供の在り方についても同じではないか。

 警察が『個人の権利と自由を保護』する目的を国民から与えられている以上(警察法第1条)、また、警察が個人の法的利益や、人としての尊厳の保護を責務としている以上(警察法第2条参照)、そして前述のとおり警察が被害者のための行政機関である以上、警察がその権限と責任において、被害者の方・被害者遺族の方の心情を酌み取りつつ、その権利利益を守るための判断をすることは恣意的でも何でもない。もし恣意的だというのであれば、議会で多数派を占めるなどして、現行法令・現行ルールを改正すればよいのでは」

――そのルールに対しては、日弁連や日本新聞協会などの強い批判があるはずだ。

「従前からのこのルールが平成17年に文書となった際、確かに、有識者会議においても大きな議論があった。ただその議論においては、メディア出身の委員が『原則実名』を強く主張する一方、被害者団体出身の委員等その他の委員はこのルールに賛成か、あるいは『原則匿名』を支持していた。またパブリックコメントにおいては、実名報道に反対する意見が多数であったと聞く。加えて、このルールについての議論の過程で、メディアによる二次被害・メディアスクラムについて、相当踏み込んだ厳しい批判もあったと承知している。

 すると、『警察は原則実名発表すべき』という意見は、既に平成17年の時点で、むしろ少数派だったのではないかと私には思えてくる。ここで、むろん、正しいことと数とは無関係であるから、警察とメディアとが、メディアの『報道の自由』の今日的意義について、更に真摯な対話を積み重ねてゆくべきと考える」

――マスコミに対しては、これまでは、ほとんどの重大事件において実名発表をしてきたのではないか。その積み重ねがあるから、メディアとしても実名発表を強く求めるのではないか。

「警察としては、飽くまで先のルールを適用した結果、『実名発表をする』との判断を積み重ねてきたものであり、『原則は実名発表だ』『実名発表をするのが基本だ』とかいった考え方を採用してきたわけではないはずだ。

 実際、重大事件についても、例えば平成28年のいわゆる『相模原事件』(19人刺殺)において、事件捜査をした神奈川県警察は、被害者遺族の要望を理由に、被害者の実名発表をしていない。だから実名発表が原則といった話にはならない。

 ただ……喩え話として適切かどうか迷うが……これまで1万回コイントスをして1万回ともオモテが出ていたときに、次の1万1回目だけウラが出たとしたら、ずっとオモテを期待していた者は『なんでだよ』『ありえない』と感じるだろう。警察としては、『そりゃ当然二者択一なんですからウラが出ることもありますよ』との立場だが、メディアとしては、『今回だけウラというのはそりゃひどい』……と言いたくもなろう。

 そのあたりは、これまでの実務と先例の無数の積み重ね、はたまた、メディア/記者と警察の信頼関係といった要素も考慮する必要がある。警察と記者は馴れ合うものではないし、情報提供はこれまで縷々述べたとおり、飽くまで法令に基づく警察の主体的判断によるべきものだが、しかし両者は必ずしも敵対関係になく、ともに社会正義を追求する面もある。むろん協力関係に立つ面もある。私も現場にいたころは、公私にわたり、記者と長時間ああでもないこうでもないと議論しながら、信頼関係を築くよう心掛けた。

 ゆえに、警察がルールにしたがって公平なジャッジをしなければならないとき、そこは不偏不党に、他方当事者であるメディアの正義をもおもんぱかる必要がある。警察がそもそも被害者のための組織であること、だから被害者の方・被害者遺族の方に比重を置くべき組織であることを踏まえれば、なおさらだ」

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