京アニ放火殺人 警察はなぜ被害者実名報道を決断したのか 元警察官僚、古野まほろ氏が分析

国内 社会 2019年10月1日掲載

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 7月に起きた京都アニメーションの放火殺人事件。京都府警は事件から40日後に犠牲者35人全員の実名を公表した。異例づくめの公表までの経緯から、様々な憶測も流れる本件について、元警察官僚で作家の古野まほろ氏に話を聞いた。

実名報道の何が難しかったのか

――結局、今般の実名報道については、何が難しかったのか。

「本質的には、(1)被害者の方・被害者遺族の方の権利利益と、(2)メディアの権利利益という、対立する2つのことがらについて、京都府警察が最終ジャッジの役割を果たさなければならなかったことだ。その判断はとても難しい(以下、話が複雑になるので、警察による発表とメディアによる報道の区別はとりあえず措くこととする)」

――被害者の方などの権利と、マスコミの権利は、対立するものではないと思うが。

「それはもちろんそうだが、少なくとも、お亡くなりになった被害者の実名を『発表しない/する』は、発表を望まない方にとっては、二者択一の、真っ向から対立する選択肢だ。

 このとき、メディアが自制しない限りは、京都府警察の最終ジャッジによって、(1)(2)のうち片方は守られ、もう片方は守られないことになる。これに引き分けも中間点もない。ゆえに、『どちらを守るか』苦悩・苦渋の決断を迫られる」

――京都府警の苦悩・苦渋とは、具体的にはどのようなものか。

「(1)(2)がいずれも、権利利益の中で、トップクラスに重要であることによる苦悩だ。
 ここで、(1)が重要なのは論を俟たない。『プライバシーの保護』『個人情報の保護』『守秘義務の遵守』等々は法令が明確に求めるところだし、そもそも警察は、被害者の方・被害者遺族の方に敬意と同情をもって接し、その尊厳を傷つけることのないようにする責務を負った行政機関だからだ。

 そのことは、既に平成8年から再確認され、更に認識が深まっている、警察の最重要課題である。警察は、本質的に、被害者のためにある行政機関だ」

――他方で、マスコミの「知る権利」も非常に重要だ。

「だから難しくなる。知る権利は、我が国憲法上の権利だからである。
 国民一般の『知る権利』がまず保障され、そしてそれに奉仕するものとして、メディアの『報道の自由』がやはり保障される。どのみち、いずれも憲法第21条により保障される重要な権利だ」

――その対立をどう解決するか、京都府警は苦悩したということか。

「そうなる。非常に重い権利利益どうしのバッティングを、どうジャッジするかという苦悩がある。

 私自身、詳細は措くが類似の事案として、某県警察による外国機関に対する情報提供が守秘義務違反に問われたとき、『情報を提供する公益』と『秘密を守る公益』のジャッジを迫られ、警察本部長と徹夜を含め何日も熟議した経験がある」

――今回は実名発表ということになったが、その判断は妥当だと考えるか。

「外野として、報道によって情報を知る者として言えば、個人的には……同意をされない遺族の意向に反して実名をメディアに発表するのは、にわかには賛成できない。もし自分が重大事件の遺族となったらと思うと、いっそう賛成できない。前述のとおり、そもそも警察は被害者のためにある行政機関だ。

 しかしながら、そのようなことは当然、京都府警察において熟議に熟議を重ねたであろう。しかも個人的には、今の京都府警察本部長は私が公私にわたり御指導をいただいた方で、その人格、見識、判断力等を私はよく存じ上げている。また京都府警察という組織についても、暴走するというよりは石橋を叩く組織であることを私は知っている。まして、外野としては知り得ない諸事情/報道されない諸事情も必ずある。

 そうしたことを踏まえれば、外野がいきなり『実名発表は妥当だ』『いや妥当でない』と即断するのには、無理がある」

京都府警と警察庁の間に対立はあったのか

――京都府警と警察庁とで、意見の齟齬や対立があったとの報道もあるが。

「本件について最終的な判断をするのは、その権限と責任を有する京都府警察だが(都道府県警察制度)、実務上、これほどの重大事案における重要判断について、警察庁と協議をしないということはそもそもあり得ない。また、このような重大事案への対処は、行政において先例的価値を有することになるから、全国警察に与える影響も大きく、その意味でも両者の協議は不可欠だ。そして協議となれば、そこに意見の違いも出るだろう。それぞれの立場と判断もあるから、私の経験上も、まあ……激しい応酬すらあり得る。

 ただ最終的には、本件は後述する『実名発表に関するルール』をどう適用するか、その当てはめの判断である。そしてルールの当てはめに関する協議であれば、難易度は様々だが、警察においては日常茶飯事だ。最後は、両者が合意できる案で両者の決裁が終わる。というか、両者の決裁が終わらなければ案は実行されない」

――警察庁の警察官僚が、「捜査を徹底するように」「遺族を守れ」と捜査指揮をした安倍総理や国家公安委員会委員長に忖度し、早期に実名発表をしたかった京都府警に無理矢理ストップをかけた、という旨の記事もある。

「ちょっと意味が分からない。そもそも、『捜査を徹底するように』なる指示を捜査指揮などとは呼べない。被疑者について捜査すべきこと、現場・関連箇所について捜査すべきこと等がうなるほど山積している以上、捜査を徹底することは、言われずともアタリマエの方針で義務だからだ。

 また前述のとおり、警察は本質的に被害者のためにある行政機関なのだから、被害者の方・被害者遺族の方を守るのも、これまたアタリマエの方針で義務である。

 要は、総理にしろ国家公安委員会委員長にしろ、『しっかり仕事をしなさい』という、重要だがアタリマエの大綱方針を示したと。ここで、常識で考えれば、『しっかり仕事をしなさい』なる大綱方針に対して、忖度だの圧力だのが介在する余地はなかろう。

 また、京都府警察としても、一般論としては、警察庁と対立するよりは、きちんと協議をととのえ、いわば『死なばもろとも』『言質はとった』『後で文句は言わせない』という状態にした方が望ましいのだから、一方的に圧力を受ける立場というわけでもない」

――本件については、「実名公表反対の署名活動」が行われ、約1万5,000人分の署名が集まったのだが、それが警察に提出される前日に、更なる実名公表がなされた。これに対し、特にネットでは「逃げるように公表した」との批判が強いが。

「国民世論の沸騰は理解できるが……前述のとおり、私も個人的には反対派だ……ただ、実名公表の判断は、飽くまでも京都府警察が自らの権限で行うべきものであり、それに対しとことん、法的にも実務的にも重い責任を負うものである。つまりそこに違法があれば、京都府が賠償責任すら負うものであるし、関係警察官が最大で免職の懲戒処分を負うものである。

 さかしまに、私を含め国民世論の側は、法的にも実務的にも、何の責任も負わない。

 その意味で、京都府警察は、熟慮と覚悟の上、この判断をした。とすれば、あらゆる批判を甘受し、説明責任を果たす覚悟もしている(実務的にもその準備は必ずできている)。そんなとき、『署名提出から逃げる』という考え方はとらないであろう。

 それに、本件はどうあっても批判されるのだから、もし署名提出『当日』に公表したなら例えば『面当て』と批判され、もし署名提出『翌日』に公表したなら例えば『大慌てで』と批判されてしまうだろう。そう考えると、『逃げる』云々の批判は、結果論に過ぎるきらいもある。

 ただし……私は当該署名の具体的スタイルをよく知らないが……それがもし請願法の規定による請願の要件を満たすときは、警察の側に受理義務・誠実処理義務が発生するから(請願法第5条)、とりわけ誠実処理義務との関係で、一定の検討時間を費やす必要が生じ得る。そのときは、実名公表のタイミングは更に延びるから、請願提出の日程によって、状況はまた違ったろう」

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