「下着を脱いで待っています」 万葉集の中にある驚きの「下着和歌」集

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「週刊ポスト」2019年9月13日号は、韓国に関連した記事の見出しなどに行き過ぎた部分があるとして各方面から非難を浴び、謝罪する事態になった。表紙でも大きくフィーチャーされた韓国関連の記事は全体で10ページなので、週刊誌としてかなり力が入ったものなのは間違いない。が、実はこの号でさらにページが割かれているのは「女性2000人の『勝負下着』白書」のほうである。なにせ「カラー16ページ大特集」なのだ。様々な「勝負下着」を惜しげもなく披露した美女たちの写真が多数掲載されている。

 本来、実用品のはずの下着はいつから性的な関心の対象になったのか。

 少なくとも日本においては、万葉集の時代にはすでにそういう傾向が見られるようだ。

 古典エッセイスト、大塚ひかりさんの新著『エロスでよみとく万葉集 えろまん』は、万葉集の中からエロ目線で歌をピックアップし、現代語訳してみた一冊。

 同書によれば、万葉集には意外なほど「下着絡み」の歌が多いのだ。以下、同書より紹介してみよう(それぞれ現代語訳は大塚さん、原文は記事の最後に掲載する)。

 まずは「あらかじめパンツを脱いで待っている女」の歌。

「人が見ている上着の紐は結んでいるけど、人が見えない下着の紐は開けている。こうしてあなたを待っている日が多いの」※1

 解説を補足すれば、「ベースにあるのは『下着の下紐が解けるのは恋しい人と逢える前兆』というジンクス」だとのこと。
 そういう当時のジンクスを理解すると、よりこの歌を詠んだ女心が見えてくる。つまり自然と解けるのを待たず、自ら解くことで強引に恋人と逢えるよう、ゲンをかついだということだ。
 同様の心から下着の紐を題材にした歌はほかにもある。次の作品は、かの山上憶良が詠んだ七夕の歌。

「天の川に向き合って立ち、私が恋し続けたあの方が来る。下着の紐を解いて待っていよう」※2

 これは「織姫がパンツを脱いで彦星を待っている」様を詠んだ歌だという。大塚さんはこう解説する。

「ちなみに奈良・平安の七夕は、一昔前のクリスマスイブのように、本命とセックスする日と相場が決まっていた。
 クリスマス同様、七夕は海の向こうからきた行事。昔の日本人にとってはちょっとおしゃれなイベントとして、恋人の心を浮き立てたのだろう」

 事情を知らないと変態?と思ってしまうような歌もある。

「雨降ってるよ。下着までしみなきゃいいけど。そんなに降るなよ雨。あの子の思い出の下着を俺はつけているんだから」※3

 なぜ相手の下着を着ているのか。

「恋人や夫婦が別れ際、互いに下着を交換し、また逢うときまで脱がないという習慣があったのだ。好きな人と握手したあと手を洗わないのと似たような感覚だろうか。ひょっとして洗濯ぐらいはしたかもしれないが、次に逢う時まで相手の下着を身につけている、ということが重要なのである」

 この下着交換に関連した歌は他にもある。

「離ればなれになったらどんなに悲しいか。せめて私の下着を肌につけて。じかに逢えるその日まで」※4

「これは新羅に遣わされる使者らが別れを惜しんで詠んだ贈答歌だ。今と違って海の向こうに渡ることは今生の別れを意味する可能性がある。それで、『また逢う日まで』の願いと祈りを込めて、女のほうから自分の下着(今で言うならブラとパンツ)を贈ったわけである」

 こんな歌もある。

「真っ白な私の下着、持って行ってね。なくさないでね。あなたとじかに逢う日まで」※5

 何となく「木綿のハンカチーフ」みたいな感じもするが、これは結構悲しい歌だという。というのも、流罪にあった夫に贈ったものだからだ。

 こうして見ると、古来、下着は男女間において重要な意味合いを持っていたことがよくわかる。そう考えると、「『勝負下着』白書」もまた、日本の伝統を踏まえたもの、なのであろうか。

※1「人の見る 上は結びて 人の見ぬ 下紐開けて 恋ふる日そ多き」(巻第12・2851)
※2「天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな」(巻第8・1518)
※3「通るべく 雨はな降りそ 我妹子が 形見の衣 我下に着り」(巻第7・1091)
※4「別れなば うら悲しけむ 我が衣 下にを着ませ 直に逢ふまでに」(※巻15・3584)
※5「白たへの 我が下衣 失はず 持てれ我が背子 直に逢ふまでに」(巻第15・3751)

デイリー新潮編集部

2019年9月18日掲載

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