目黒虐待死事件、母親が法廷で明かした“結愛ちゃんが亡くなるまでの地獄の日々”

社会 2019年9月17日掲載

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〈ママとパパにいわれなくってもしっかりとじぶんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします〉

 2018年3月、当時5歳の船戸結愛ちゃんは、ノートにこう書き残して死んでいった。死因は、親からの虐待だった。

 父親の雄大被告(以下、表記略)から暴力を受けていただけでなく、食事もろくにとらせてもらえず、亡くなった時には、骨と皮だけにやせ細り、全身に無数の傷やアザがあったという。

 本日9月17日、母親の優里(27)に対する判決が、東京地裁で下された。

 ――懲役8年

 これが児童虐待による保護責任者遺棄で子供を死なせた母親に対する罪の重さだった。目黒女児虐待事件とは何だったのか。優里の公判の内容から整理したい。

 優里は香川県内の高校を卒業した後、一時期工場で勤め、同じ年齢の男性と結婚。19歳で結愛ちゃんを出産した。だが、22歳で離婚してシングルマザーに。その頃、ホステスとして勤めていたキャバクラで知り合ったのが、今回の事件の容疑者・雄大(34)だった。

 雄大は優里より8歳年上で、東京の大学を卒業後にいくつかの職を転々とし、友人の暮らす香川県に移ってきてキャバクラの店員をしていた。優里はそんな彼を「年上で幅広い知識がある」人だと感じて心を寄せたそうだ。そして仕事や育児の疲れを癒やすかのように彼に傾いていった。

 当初、雄大は結愛ちゃんを肩車するなどスキンシップをとってかわいがっていた。優里も「結愛のパパになってほしい」と思うようになる。そして離婚から1年半後、優里は雄大の子供を身ごもったこともあって再婚を決める。雄大は家庭を築くために水商売から足を洗い、食品会社へ就職した。

 ところが、入籍した直後から、雄大の態度が豹変した。雄大は優里のことをあからさまに見下し、侮辱するようになったのだ。物を知らない、育児ができてないなど、あらゆることに難癖をつけてきて、「おまえは馬鹿だから」と毎日1~3時間に及ぶ説教をした。

 優里は次のように述べる。

「私の性格が悪いのと、私の行動とか発言とか全部怒られました。最初は『説教ではない。おまえのために怒っている』と言ってました。言い返すと、『育児もろくにできないくせに口出ししてくるな』と言われる。『ごめんなさいだけでは反省の色がわからない』『謝り方が足りない。態度で示せ』とも言われた。何回言っても許してもらえないから、自分を傷つけたところを見せればわかってくれると思って、自分の髪の毛を引っ張ったり、頭を叩いたり、体をつねったり、そういうのを見せました。(怒られた後は)『貴重な時間をつかって(私を)怒ってくれてありがとうございました』と毎回LINEで送ってました」

 優里は連日にわたる説教により、精神的に追いつめられ、摂食障害になる。雄大に「太った女はみにくい」と言われてからは、彼の前ではキャベツしか食べられなくなり、隠れて過食をしては嘔吐したり、下剤を飲んだりといったことをくり返した。

 ここで注目しなければならないのは、雄大がわかりやすい身体的な暴力ではなく、言葉の暴力によって優里を精神的に追いつめていったことだ。説教の最中、彼は優里の頭をはたいたり、頬をつかんで頭を揺さぶったりしたが、ケガをさせるほどの暴行をしたわけではなかったし、説教の後はやさしさを見せることもあった。

 そのため、優里はDVを受けている自覚がないまま、「私がバカだから怒られているんだ」と考え、説教を自分への愛情の一つだと受け入れるようになる。自分を傷つけたり、説教される度に「貴重な時間をつかって(私を)怒ってくれてありがとうございました」と言っていたのは、気が付かない間にDVによって洗脳されていた証だろう。

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