京アニ放火事件実名公表はなぜ議論を呼んだ? 凶悪事件遺族が語る「報道されない被害」

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米英は実名

「実名で被害者を報じることは事件の全体像を語り、亡くなった方が生きてきた証を後世に刻むことでもあるのです」

 とは立教大学名誉教授の服部孝章氏(メディア法)である。

「そもそも被害者の名を出すか出さないかを警察という権力が決めること自体がおかしい。これが許されれば、『遺族の意向』を理由に、警察にとって都合の悪い被害者の名前や捜査ミスも隠すことが出来るようになってしまいます。公表を受けた上で各メディアが判断すれば良いことです」

 元日本テレビ解説委員で、上智大学新聞学科教授の水島宏明氏も言うのだ。

「どんな場合でも『事実』をできるだけ正確にメディアが伝える、という土台を原則にしておかないと、本当に事実かどうかわからないものが流通する社会になってしまいます。報道が“匿名でもいい”となった途端、後から検証ができないフェイク情報があふれることが危惧される。犠牲者の人生をしっかり伝えることなくしては、加害者が犯した罪の大きさも本当の意味で伝えたことにはなりません。その上で、名前が出た方々がネット上で誹謗中傷されたり、SNSで嫌がらせを受けたりすることがあれば、実効性ある手段で阻止する仕組みも真剣に検討すべきです」

 実際、アメリカやイギリスなどは、犯罪被害者の実名報道が主流。イギリスでは被害者がたとえ娼婦であろうとも実名報道される。犯罪事件の記録は社会の公共財。死者のプライバシーより、公共の福祉が優先される、との考え方である。他方、ドイツやフランスは前者が優先され、原則匿名報道。翻って我が国は米英に近く、これまで当局は被害者を原則実名で公表してきた。もちろん例外もあり、性犯罪の被害者や、ラブホテルやソープランドの火災で亡くなるなど、故人の尊厳が損なわれる可能性が高い場合は実名を公表しないケースも。ともあれ、従来の考え方を踏襲するなら、今回の事件は「即公表」に当たったケースである。

 12年前、一人娘の利恵さんを通称「闇サイト殺人」で失った、磯谷富美子さん。

「娘の場合は選択の余地もなく実名で公表されましたが、それによって犯人に極刑を求める動きについて、とても説得力を持って伝えることが出来ました」

 結果、容疑者のうち1人は死刑が執行された。

 23年前、長男・孝和君を少年に殺害された武るり子さん。

「私のケースは、犯人が少年だったので相手の名が報じられなかった。私たち親が自ら名前を出し、声を上げることで、報道が増え、失った息子の存在も再確認できましたし、他の被害者遺族とも繋がることが出来ました。“報道されない被害”もあるんです」

 その後、武さんは「少年犯罪被害当事者の会」を結成し、少年法改正に尽力している。

「今回の件を受け、栗生(くりゅう)俊一警察庁長官は、周囲に“この対応を今後の公表のモデルケースにしたい”と言っています。世論の動向も相まって、今後、遺族の意向を聞く、すなわち『非公表』への流れはますます広がっていくことになるでしょう」

 とは全国紙の社会部デスクだが、その果てにはどんな“社会”が訪れるのか。犠牲者を悼み、罪を憎む社会だろうか、それとも――。

週刊新潮 2019年9月12日号掲載

特集「他の事件と何が違うのか 京アニ放火殺人の『実名報道』に『世論』という壁」より

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