教育熱心な父親が中学受験勉強中の息子を「教育虐待」して刺殺するまで

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いじめより多い自殺の原因

 殺人は大きく報道される。しかし教育虐待の末、重圧に耐えられなくなった子どもが自ら命を絶った場合、それが世間に広く知られることはまずない。

「自殺対策白書(19年版)」では、18年の19歳以下の自殺者数が前年比32人増の599人だったことが報告された。統計をとり始めた1978年以降最悪の数だ。全世代の自殺者総数は減少傾向にあるのに、である。

 白書では18年から過去10年をさかのぼり、10代自殺者の原因・動機を分析した。図1からわかるとおり、「家族からのしつけ・叱責」「親子関係の不和」「学業不振」「その他進路に関する悩み」の合計を見ると、男子小学生で67・9%、女子小学生で71・4%、男子中学生で58・3%、女子中学生で47・6%。図2は高校生の自殺の原因・動機。「学業不振」「その他進路に関する悩み」「親子関係の不和」を合計すると、男子で43・2%、女子で30・9%。いずれも「いじめ」よりも圧倒的に多いのだ。

 名古屋での事件が注目されたため、一部報道では「中学受験の激化が教育虐待を招いている」という理屈が見られたが、これはほとんどフェイクニュースである。08年のリーマンショックで落ち込んだ中学受験者数が徐々に回復傾向にあるだけで、急激に何かが変わっているわけではない。しかも首都圏の中学受験の総定員数と総受験者数はほぼイコールで、いわば全入状態。定員割れを起こす私立中学も多数あるのが現状だ。

 中学受験において教育虐待が行われることがあるとすれば、「中学受験は親の受験」とメディアに煽られた一部の親が、わが子の実力以上の志望校を目指して子どもに無理をさせてしまうケースである。中学受験全体が過熱しているわけではない。また、中学受験で教育虐待をしてしまうような親には、仮にわが子が第1志望校に合格しても、その後も教育虐待を続ける傾向が見られる。すなわち、中学受験があるから教育虐待が発生するわけではない。

 山崎晴男さん(仮名)は、小学校低学年のころは毎日習い事漬けにされ、高学年になると食事や睡眠の時間まで惜しんで勉強させられた。母親は晴男さんに、塾に迎えに来た車の中で食事をさせ、夜中の2時まで眠気覚ましのアイスノンを額に巻いて勉強させた。

 第1志望校に合格できたときには親子で喜んだ。しかし晴男さんがほっとできたのも束の間。中学校生活が始まると、母親は難関大学進学のための塾に晴男さんを入れた。成績が下がると家庭教師を付け、部活もやめさせた。晴男さんは母親の首を絞めかけたこともある。それほど母親が怖かった。それでも母親は態度を変えなかった。

 自暴自棄になった晴男さんは学校でトラブルを起こし、高校1年生で中退する。「このまま家に居たら危ない」と感じて家を出て、新聞奨学生として住み込みで働き始めた。両親とのわだかまりは30歳近くになるまで続いた。

 名古屋の事件の憲吾被告も、中学受験では見事第1志望校に合格するも、中1の1学期の中間試験の成績を理由に、父親の命令により野球部をやめさせられている。野球部に入ることこそが、憲吾被告が中学受験勉強を頑張ったモチベーションだった。それから勉強にもまったく身が入らなくなり、結局大学進学をしなかった。憲吾被告が高校生のときには、父親が出刃包丁で憲吾被告を脅したこともあったという。事件の背景には、世代間にわたる負の連鎖もあったのだ。

(2)へつづく

おおたとしまさ
育児・教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。麻布中高卒、東京外国語大中退、上智大卒。リクルートから独立後、教育誌などのデスクや監修を歴任。中高教員免許を持ち、私立小での教員経験もある。最新の著作に『受験と進学の新常識』(新潮新書)がある。

週刊新潮 2019年8月29日号掲載

特別読物「あなたも加害者と紙一重という『教育虐待』――おおたとしまさ(育児・教育ジャーナリスト)」より

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