「二十歳の原点」はなぜ今も読まれ続けるのか 調査サイトの管理人が明かす“魅力”

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関係者に会い続けた父親

 Kitamotoさんは大学卒業後、大手企業に就職した。その時、『二十歳の原点』を実家に送ったという。引っ越し先で大学生の時の本が邪魔になったからだ。それから20年以上の歳月が流れ、ある変化が生じた。

 およそ10年前、母親が病に倒れた。命に別状はなかったものの、自分の死が脳裏をよぎったのだろう。「私が元気なうちに、預かっている本をそっちに戻したい」と相談があった。

 そしてKitamotoさんの家に、大学生時代の教科書や蔵書が戻ってきた。その中に『二十歳の原点』があった。読み返すと、学生時代とは“視点”が変わったことに気づいた。昔は高野さんの内面に共感を覚えながら読んでいた。ところが今度は、父親の三郎さんに近い目線になっていることに気づいたそうだ。

「更に数年が経つと、高度な治療が必要になったため、母親は京都の病院に入院することになりました。時間があれば、私は京都に行って母親を見舞いました。そして空いた時間に自然と、『二十歳の原点』で描かれた場所を再訪するようになったんです」

『二十歳の原点』には冒頭、《独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である》というエピグラフ風の2行が掲げられている。

 従来、この冒頭部分は、高野さんの完全なオリジナルと解され、彼女の文才の象徴と受け止められてきた。

 だが、Kitamotoさんが調べてみると、作家・小田実(1932~2007)が朝日ジャーナル(廃刊)69年1月5日号に寄稿した「『未熟』と『発明』―人々は動く・68年から69年へ―」の中にある「矛盾に対さないかぎり、結局のところ、矛盾はなくなることはないし、未熟は未熟のままで終るしかない―そんなふうにも思う」という一文と密接な関係があることが分かった。

「最近はネット時代で、『二十歳の原点』に関する様々な情報もウェブ上に氾濫しています。しかし残念なことに、事実誤認の記述も少なくありません。『日記のあの部分を調べてみよう』と考えて資料を探したり、関係者に取材をお願いしたりすると、自分でも信じられないくらいトントン拍子に進み、色々な事実が分かりました。そこで12年の10月にサイトを開設しました」

 仕事の合間に、調べてはサイトに書き、取材してはサイトに書くという作業が確立。メディアに紹介されたこともあり、次第に閲覧者も右肩上がりになっていった。

 改めてKitamotoさんに「令和になっても失われない『二十歳の原点』の魅力」について訊いた。

「高野さんが我々と同じ平凡な人間だからこそ、『二十歳の原点』に惹かれたと申し上げましたが、彼女が常に社会的弱者の側に立とうとしたことも、いまだに私たちの心を打つのだと思います。例えば当時、沖縄は返還前でした。彼女は高い関心を寄せていましたが、米軍の駐留が生む様々な問題は今も変わりません。アルバイト先で格差問題を感じ、京大生に学歴コンプレックスを抱いたり、自分が学歴の低い人を蔑視したのではないかと悩む姿は、現在の20代の読者でも強い共感を覚えるのではないでしょうか」

 先に、高野さんがスキー道具を売って「資本論」を買うかどうか悩む姿を引用したが、彼女は売ることはなかった。そして遺品のスキー道具は、巡り巡って、今はKitamotoさんが「保管を依頼された」ため手元に置いているという。

「書斎に置かせてもらっているのですが、まあ、私の更新作業を監視されていると言っていいでしょう(笑)。まだまだ取材をお願いしたい関係者の方はいますし、調べは終わっても執筆しきれていないトピックスがいくつかあります。彼女のスキー板にプレッシャーを感じながら、少しずつ更新を進めていきたいと思っています」

 Kitamotoさんが取材を重ねていくと、どこにでも父親の三郎さんが既に訪れていたという。我が子がなぜ命を絶ったのか、その謎を解こうとする姿勢に、Kitamotoさんは言いようのない想いを馳せる。そして、更なる調査を続けるという。

週刊新潮WEB取材班

2019年8月28日掲載

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