「二十歳の原点」はなぜ今も読まれ続けるのか 調査サイトの管理人が明かす“魅力”

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今の20代と変わらぬ内面

 雑誌が紹介したベストセラーは、寺山修司(1935~1983)の『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)、村上龍(67)の『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)、田中康夫(63)の『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)、そして『二十歳の原点』だったという。

「60年代から80年代に至る青春像を、4冊の本から浮かび上がらせようとする編集部の意図は分かりましたし、とても面白かった。ですが、なぜか『二十歳の原点』の読後感が別格でした。当時の私は学業に追われ、それなりに多忙でしたが、時間をやり繰りして京都を訪れ、2泊3日で日記に出てくる場所を訪ね歩きました。今の言葉で言うと、“聖地巡礼”ということになるのかもしれません」

 天神踏切を訪れると、そこには福岡からわざわざ訪れたという同世代の女性が花を手向けていた。Kitamotoさんは『二十歳の原点』が読者に与えるインパクトを痛感したという。

「あれから30年近い歳月が経ち、私も50代になりました。年齢を重ね、何度も読み返してきましたが、それでも私が『二十歳の原点』に惹かれる理由を説明するのは、そう簡単なことではありません。もともとノンフィクション好きということは関係があるでしょうし、高野さんの文才に感銘を受けていることも大きいと思いますが……」

 Kitamotoさんが男性という要素も無視できない。『二十歳の原点』は20歳の女性が1人暮らしをしながら書いた日記。自分には体験できない女性の私生活を垣間見ることができるからだ。

 だが、本当の魅力を挙げるとなると、「高野さんが実に平凡な女性だからです」と言う。書物は基本的に“何かを成し遂げた人”が描かれる。極端な例が「偉人伝」だ。しかし高野さんは違う。あの日記を残して自ら命を絶たなければ、基本的には“市井の人”だったはずだ。

《愛宕(あたご)山に雪が降った。明日、その三角点と龍ヶ岳に行ってこようと思う。試験の勉強など全然していない。延び延びでもあるし、もうどうでもいいように思う》(1月30日)

 彼女はワンダーフォーゲル部に所属していた。山登りを愛していたにもかかわらず、翌日は寝坊して愛宕山への登山を簡単に諦めてしまう。平凡な素顔が感じられる箇所だ。

 5月7日の日記は《スキー道具一式を売って「資本論」を買うか》との悩みから始まり、《頑張りますよ。ブルジョアを倒すまでは》と肩に力が入った記述で終わる。ところが翌8日は、がらっとトーンが変わってしまう。

《朝起きてラジオのスイッチをひねり、モーツァルトの初期ピアノ曲をきく。そんなものきいたもんだから、階級闘争なんて止めて、楽しく小さく好きな本でも読んで生きていこうかなんて思っちゃって》

 気持ちの振幅が、実にリアルだ。1969年と言えば、1月に東大で安田講堂事件が起きている。学生運動は、文字通りの高潮期を迎えていた。

 しかしながら、その真っ最中に大学生だった高野さんは、モーツアルトのピアノ曲を聞いただけで「階級闘争なんて止めてしまおうか」と考えてしまう。おまけに、その筆致は実に軽い。人間の内面は、時代によってそれほど変わるわけではないことを鮮やかに伝えてくれる。

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