京アニ放火・青葉容疑者「万引き少年」が「下着ドロボー」から「爆殺犯」になるまで

国内 社会 週刊新潮 2019年8月1日号掲載

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 その凄惨かつ甚大な被害状況からすれば、戦後最悪の「放火殺人事件」と呼んで差し支えあるまい。

 京都市伏見区の閑静な住宅街に位置する、「京都アニメーション」第1スタジオが猛火に見舞われたのは7月18日のことだ。

 35人が命を落とし、33人が重軽傷を負った未曾有の惨劇の直後、京都府警が身柄を拘束したのは、現場にガソリンをぶちまけ、火を放った青葉真司容疑者(41)だった。自身も重度の火傷を負い、いまも生死の境を彷徨う「爆殺犯」。その人生を辿ると、暗く荒涼とした軌跡が浮かび上がってきた。

 1978年に3人きょうだいの次男として生まれた青葉容疑者は、埼玉県内の小学校に進学する。低学年の頃に親しかった同級生によれば、

「青葉と遊んでいたのは僕ともうひとりの友だちくらい。何を考えているか分からない、クラスでも浮いた存在の奴でした。同級生と並ぶと頭ひとつほど背が高く、体格も良かった。当時流行っていた『北斗の拳』のラオウと青葉の“ば”をかけて“バオウ”というあだ名で呼ばれていましたね」

 この友人は彼の自宅アパートを訪れた日のことを鮮明に覚えている。

「ひと言でいうとゴミ屋敷です。食べ終わったコンビニ食品の容器やゴミ袋が部屋中に散乱していて足の踏み場もないほど。2段ベッドで妹と寝ていましたが、よくこんな部屋に住めるなと衝撃を覚えました。家が貧しかったのは事実で、いつも同じGジャンやトレーナーを着ていた。もうひとつ忘れられないのは彼から“万引き”に誘われたこと。スーパーかコンビニでお菓子を盗もうって。まだ小学校低学年だった僕は、事もなげに万引きを持ちかける青葉に驚かされました」

 お菓子を買う金にも窮していた極貧少年は、10代に入る前から日常的に万引きに手を染めていた。

 ほどなくして青葉容疑者の両親は離婚し、きょうだい3人と父親の暮らしが始まる。中学時代の様子について、彼と同じ柔道部に所属していた同級生はこう話す。

「2歳年上のお兄さんが柔道部の部長だったせいか、本人はかなり威張っていた印象です。練習熱心な割に強くはないんですが、サボっている同級生に“なんで練習に来ないんだよ”と注意してくる。あと、乱取り稽古で得意技の内股をかけるときに、相手の金的を勢いよく蹴り上げるんですね。金的への攻撃は反則技なので練習相手と揉めることもしばしば。誰も青葉と組み手をしたがらなかった」

 青葉容疑者はこの中学校を途中で「転校」するのだが、

「担任の先生がホームルームで“おい、青葉を知らないか?”と生徒たちに聞いたんです。みんなキョトンとしていましたよ。学校にも知らせず、突然いなくなったという感じです。仲の良い友だちもおらず、結局、どこへ転校したのかも分からずじまいだった」(同)

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