「虐待は他人事じゃない、自分もする可能性がある」と幸せな家庭の一児の母が気づいた日

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 現代社会を生きる女性が避けては通れない「婚活」「結婚」「妊活」「子育て」。これらのライフイベントに伴う様々な困難にぶつかりつつも、彼女たちは最終的には自分なりに編み出した「ライフハック」で壁を乗り越えていきます。読めば勇気が湧いてくるノンフィクション新連載「女のライフハック」です。

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息子は可愛いけど、たまに一緒にいるのがつらい

 2016年の初夏だった。39歳の誕生日を迎えたちょうど5日後、生理が遅れていることに気が付いて産婦人科に行くと、妊娠していることを告げられた。その時、「ぎりぎり30代で妊娠できた」という安堵とともに、高齢での出産と、これから先の育児に不安を覚えたことを、はっきりと覚えている。

 4つ年上の夫と結婚をしたのは2012年。すでにわたしは35歳だったけど、妊娠や出産に関して、まったく焦りがなかった。周囲には同年代でも単身を貫いていたり、一度離婚していたりして、結婚をしていない友人がたくさんいたこともあったし、子どもを作ることはマストではない――出来れば出来たで嬉しいけれど、出来なかったら夫婦ふたりで仲良く暮らしていこうと、夫と合意していた。

 晩婚といっても差し支えのない結婚だったから、実母も義母も「孫はまだか」と急かすこともなく、互いに仕事にやりがいを感じていたし、それぞれの友人との付き合いを大切に、頻繁に外で飲み歩き、それでも必ず週に一度は夫婦でデートをして、年に数回は海外旅行に行くという“わたし達らしい結婚生活”が送れていたと思う。

 ところが、出産を境に生活ががらりと変わった。実母とは、ほどよい距離を保っているからこそ、仲良くやれていることをわかっていたので、実家への里帰りをする気になれず、夫婦だけで乗り越えることを選んだ。夫はアパレル企業の代表をしつつ、傍らでバーも経営しているため、帰宅は深夜を回る。なので、毎晩いわゆる“ワンオペ育児”となったが、親に頼らないと選択したのは自分なのだから「仕方ない」と納得していた。

 慣れない育児に消耗しつつも、一方で一刻も早く仕事に復帰する態勢を整えたいとも考えていた。なぜならばわたしはフリーランスの物書きだ。官能小説をメインに書き、コラムの週刊連載をいくつか抱えてもいた。産前産後、それらは休載という形を取っていたが、早く復帰しないと、新しい物書きがどんどんと参入してくるこの時代、すぐに忘れ去られてしまうという焦りがあったし、そもそも子どもを生んだ女が、これまでの読者に受け入れられるかどうかも不安だった。

 唯一の幸運は、ダメ元で応募した認可保育園から承諾の通知が届いたことだった。とはいっても迷いもあった。1月半ば生まれの息子は、4月の入園時にまだ生後3カ月にも満たない。出来れば1歳までは自宅保育したい気持ちはあったが、「1歳から保育園に入れるのは、ほぼ不可能」と、子持ちの友人らは口を揃えていう。そもそも、フリーランスには育休がないので、産後8週間を過ぎて仕事に復帰しないと、無職と認定されてしまう。そうなれば、環境が整っているとされている、認可保育園に入園することは、到底無理だ。だから、0歳で保育園に入れるという選択肢しかなかった。

 保育園に入れたことで、仕事に復帰はできたものの、外に飲みに行けないのはもちろん、本を読むことや、DVDを見ること、それどころかゆっくりとお風呂に浸かることさえ、好きなようには出来ない。息子は可愛くてこの上なく大切な存在だけど、一緒にいるのがとてつもなくつらいことがある。

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