交番襲撃「飯森容疑者」の自衛官時代、元同僚らの人物評は“笑わない男”

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 世を震撼させた大阪府吹田市の交番襲撃拳銃強奪事件。用意周到に警察官を襲った飯森裕次郎容疑者(33)は、海上自衛隊に約半年間、身を置いていた。かつての同僚らが見た自衛官時代の“素顔”は……。

「あんな大それた事件を起こす人間には見えなかった」。飯森容疑者の現役時代を知る海自関係者は驚きを隠さない。

 飯森容疑者は駒沢大学を卒業し、2009年4月1日、海上自衛隊横須賀教育隊(神奈川県横須賀市)に入隊、第351期練習員課程、第33分隊に所属した。同年8月7日、二等海士として護衛艦「しらゆき」に配置されたが、2カ月もたたぬ9月30日付で依願退職した。

「教育隊では総員約60人の同期が4班に分けられ、数少ない大卒の飯森は第一班のリーダーである班長を任されていた。頭は良かったが、社交性があるとは言えなかった」

 同期隊員の一人は、そう振り返る。

 飯森容疑者の端的な人物月旦は「笑わない男」。年下である高卒の同期たちには「話しぶりが気に入らない」と煙たがれる一面もあったという。

「感情を表に出すことなく、物事を冷静に観察、分析する男だった。他人のちょっとした仕草や癖をとらえて口にするのが好きで、まさに『人間観察』が趣味のようだった」(同)

 どうやら同僚の間では、一風変わった存在だったらしい。前出の海自関係者は「性格は温厚で真面目。幹部の評価も低くなかった。むしろ真面目すぎて、物事を深く考えてしまう嫌いがあった」と指摘し、その点について部内資料には「注意を要する」と記載されていたともいう。

 飯森容疑者が4カ月間の教育隊生活を終えて乗り込んだのが「しらゆき」だった。同艦は1983年に就航した「はつゆき」型護衛艦の2番艦で、海自の汎用護衛艦として開発された。開発当時としては優れた対艦・対潜・対空攻撃能力を備え、主戦力とみなされていた。2016年4月に退役した。

「しらゆき」で飯森容疑者は、「電測」と言われる業務を担当した。主に艦船内での情報収集や作図、整理のほか、電測器材の操作、保守などに従事するのが任務とされる。しかし、配置後まもなく除隊したため、前出の同期隊員は「ほとんど雑用で終わったのではないか」と言う。

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