モンキー・パンチさんを偲ぶ 名作「ルパン三世」と共に歩んだ人生

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 訃報を受け、日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」は過去作品を追悼放送した。改めて、その作品世界の魅力を再確認した方も多いだろう。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、モンキー・パンチさんの歩みを振り返る。

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 テレビアニメと映画でおなじみの「ルパン三世」。モンキー・パンチさん(本名・加藤一彦)が、青年向けの「週刊漫画アクション」(双葉社)に1967年から連載した原作があってこそ国民的人気作は生まれた。

 ルパン三世、次元大介、石川五ェ門、峰不二子、銭形警部の顔触れはもちろん同じ。だが、原作とテレビや映画では絵の雰囲気が違う。アニメ化にあたりモンキー・パンチさんは、5人の設定は変えないでほしいとしか注文をつけなかった。

 漫画にも造詣の深い評論家の呉智英さんは言う。

「原作での5人の主要登場人物の設定、バランスが抜群に良かったのです。キャラクターがしっかりしていて魅力的なので、テレビや映画によってさらに物語を広げることができました」

 37年、現在の北海道浜中町生まれ。高校卒業後、上京。貸本向けの漫画などを描き続ける。双葉社の目にとまり65年にデビュー。2年後の「ルパン三世」で注目を集めた。日本人離れした作風から、編集者にモンキー・パンチという国籍不明のペンネームにされる。

「新感覚の漫画が求められた時代です。カラッとしてアメリカの漫画の影響を受けていました」(呉さん)

 原作のルパンはなかなか残酷だ。人を殺(あや)め、性的にきわどいことも平気。漫画のコマ割りや構図は工夫され疾走感があり、展開も大胆。最後にあっと思わせる。

 71年にテレビアニメ化。再放送を重ねるうちに反響が大きくなり、77年以降、新シリーズが作られる。

 77年から2010年まで峰不二子の声を演じた増山江威子さんは振り返る。

「ただ声をあてているのではなく、人物を掘り下げて一体化している気持ちでした。これほど魅力ある役に出会えて感謝しています」

 声によって命が吹き込まれた、と喜んでいたという。

「ファンの皆さんが持っている不二子のイメージを壊してはいけないと、私はできるだけ姿を見せないようにしていました」(増山さん)

 原作漫画は断続的に描き続けられた。

「とてもおだやかな人で、ルパンとは正反対かも。私達に注文を出すこともありません」(増山さん)

 アニメに口出しはしなかったが、本来は敏腕刑事の銭形が面白おかしく描かれるのは残念がった。宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」(79年)の女性に優しいルパンにも思うところがあったらしい。

 95年にルパン役の山田康雄さんが亡くなり、栗田貫一さんが継いだ時には、笑顔で静かに励ました。

 時代劇ナンセンス漫画の「一宿一飯」や、SFアニメ「緊急発進セイバーキッズ」の原作でも知られるが、やはり「ルパン三世」の人だ。

 2男1女を授かっている。

 96年から千葉県佐倉市に居住。ルパンを描いたご当地ナンバープレートの作製や市立美術館での「ルパン三世展」に喜んで協力した。

「イベントで子供達に作画の指導をして下さいました。額を突き合わせて丁寧に教えるのです」(学芸員の本橋浩介さん)

 故郷思いでもある。

 浜中町商工会の前会長、栗本英弥さんは言う。

「ウニやコンブといった名産はともかく、町の知名度は全然でした。モンキー・パンチ先生に相談すると、私なんかでいいのとおっしゃった。謙虚なお方です」

 12年から浜中町で「ルパン三世フェスティバル」が開かれるようになり、モンキー・パンチさんばかりか声優陣も訪れた。17年には車椅子姿で参加した。

 4月11日、誤嚥性肺炎のため81歳で逝去。

 5月31日にはアニメ映画「LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘」が公開予定。モンキー・パンチさんが生み出した世界は続いていく。

週刊新潮 2019年5月2・9日号掲載

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