孤独死した「飯島愛さん」 大ベストセラーが生んだ悲劇を振り返る【平成の怪事件簿】

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厳しい家庭への反動

 自らの半生を振り返ったという『プラトニック・セックス』によれば、少女時代、彼女は厳格な家庭で育ったという。
 
 とくに父親の躾は厳しく、食事中にテーブルにひじをつくと、容赦なく手が飛んで来た。学校が終わると毎日のように習い事があった。学習塾、ピアノ、そろばん、公文、習字。彼女はこんなエピソードを記している。

「(父が)早く帰ってきているときは、有島武郎の『一房の葡萄』など、小説を渡される。それを声に出して読むように強いられ、本を丸ごと1冊清書させられる。その30分から1時間の間、決まって父は、私の机の後ろで物差しを持って立っている。勉強部屋には、父が物差しで手のひらを叩く音だけがする」

 小学校低学年のころは、通知表に“内向的”と書かれるような子どもだった。先生に話しかけられても何も答えられず、すぐ下を向いて縮こまってしまう。

「『ああしなさい』『こうしなさい』といわれ続け、できないと怒鳴られ続けた私は、親がいない学校では何もできなくなっていたのだ。余計なことをしたら怒られる。私は、いつも人の目に怯えていた」と彼女は書いている。

 その厳しい家庭への反動からか、彼女は地元の区立中学校に入ると、次第に荒れ始めた。暴走族の男と付き合い始め、夜は歌舞伎町のディスコに入り浸る。新宿駅のコインロッカーと有料トイレを根城に、万引きやカツアゲを繰り返す。補導されると、泣き顔の母親が引き取りに来る。まるで絵に描いたような不良への道を、まっしぐらに進んでいった。
 
 中学2年生からは、家出をしては家に連れ戻され、父に殴られるという修羅場が続いた。男の家に転がり込み、同棲生活を始めたのはこの頃。しかしその同棲生活も破綻し、行き場所のなくなった彼女は、やがて湯島のカラオケスナックで働き始める。

「カラオケスナックでバイトして1日1万円。カラオケを歌える、お酒を飲める、男の人にはちやほやされるで、こんな楽しいバイトはない。私は水商売にすっかり慣れ、楽しんでいた。不思議とお金がすべてを満たしてくれる。/お金で買えないものはないと思った」

 水商売を始めたのが16歳の時。やがて彼女は、六本木のクラブで働き出し、銀座のクラブヘと移っていく。金銭感覚は次第に麻痺し始め、遊ぶため、着飾るために、クラブを辞め、個人的に“スポンサー”を探すようになる。つまり、体を売るようになったのだ。

「中年太りの腹、水を弾かない弛んだ皮膚、それとは対照的な脂ぎった顔。近づけば鼻につく整髪料の匂い。それだけではない、40歳を過ぎると自然と身体から妙な匂いを分泌する、それが中年オヤジ。/生理的には受け付けない人種の前でも、私は股を開くようになっていた」と彼女は告白する。

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