AAA浦田の暴力事件 エリート男子たちの優越感と勘違い

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「線」でものを考えないエセエリート男子の傲慢と勘違い

 ふと思い出したのは、最近起きたエリート男性たちの性犯罪である。例えば昨年の、ミスター東大やミスター慶應による性犯罪。住友商事や大林組の社員がOB訪問でレイプした事件もあった。いずれも、「俺はエリートだから女には何してもいい、俺に選ばれて光栄だろ」という優越感や全能感で犯行に及んだ印象がある。

 今回の事件も、問題点は記憶がなくなるほど泥酔したことではない。いや、たしかに酒量と酒乱も問題だが、もっと根深いのは、「俺は人気芸能人だから女には何してもいい、俺に興味もってもらって光栄だろ」という選民意識というか勘違い意識が大問題である。

 今、とりあえずここにいる女性をもてあそびたい。俺は人気者のエリートだから、許される。騒がれたとしても、後からなんとでもなる。なんとかする方法もよくわかっている。そう、俺はエリートだから・・・・・・そうして犯行に至り、上手く行けば成功法則としてインプットされ、また彼らの万能感を高めてしまう。やっぱり俺、エリートだわ。と。かくして被害者はおぞましい思いをする。でも彼らには、「君、俺みたいなエリートと遊べて楽しかったでしょ?」と言う厚顔さしかない。そして悲しいことに、世間も「男のスペック目当てでついていったくせに自業自得」と被害者女性を糾弾することもある。

 しかし、「とりあえず」と「あとでなんとかなる」という、「点」でものを考える人間が本当にエリートなのだろうか?むしろ、一時的な欲望や激情に身を任せることが簡単だからこそ、流されず「線」で考えられる人間をエリートと呼ぶのではないか。豊かな暮らしを保障する収入や肩書きを、失うようなリスクを犯さないこと。家族や仲間やファンが、あとで肩身の狭い思いをするような真似をしないこと。そういう長い目で物事を考えられること。今回のように、他者を痛めつけたりするような奴は論外である。犯罪後に帳尻を合わせればいいという、ふつう考えないようなことを考えるのがエリートではない。むしろ、ちょっと考えればわかることを、おろそかにしないのが本当のエリートであり、本当の人気芸能人であると私は思う。だから叩くべきは被害者ではないし、加害者の会社や大学でもない。加害者の思考である。

 そういう点で、浦田は人気芸能人ではなかった。本人がどう思っていようとも。とはいえ良かったな、もう誰も知らないなんて彼には言わないだろう。全国区に顔と名前が知られたから。不名誉な形だけど。

(冨士海ネコ)

2019年4月26日掲載

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