樹木希林さんが語った「人間・内田裕也」

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1円ももらってない

〈内田と樹木が結婚したのは1973年10月。76年2月には、長女の也哉子が誕生したが、その直前から別居生活が始まった。以来、35年の月日が流れた。別居の原因は、内田の暴力である。13日の会見でも樹木は、

「最近は年取ってきちゃってないですけど、若い頃は毎晩ですからね。『(内田は)口で負けるから悔しい』と言っていた。包丁をどれくらい買ったか分からない」。現在も「暴れた時のため110番通報したら直ぐお願いできるよう、渋谷区の生活保護課に登録してます」と明かした。〉

 今回の女性については、刑事さんの話では危害を加えたとかではないそうです。暴力とかではなく、ステッキを持って振り回したりとか。
 
 私の場合は、若い頃ですけど、肋骨を折られたこともありましたね。包丁だって何本も欠けましたし。でもね、私も「このヤロー!」って。やり合うから欠けるんですよ。だから、あっちばかりが悪くて、私が立派ということではないんです。私もそういう危ない部分を持っているの。だから、喧嘩も収まらないわけです。私と内田さんは背中合わせでそっくりなんです。

“あれは3年前~♪”……(と、ちあきなおみの「喝采」を口ずさみながら)くらいでしたかね。内田さんは、元々、今とは別のマンションに住んでいました。ところが、そこの大家さんから「家賃が支払われていないから出て行ってくれと言われているんだ」と。それで、「じゃあ、私が持ってるマンションに住んだらどうですか」と言ったんです。正確には、私のお金を管理している経理事務所の持ち物ですが、私は以前、そのマンションの3階に住んでいて、そちらは売り払って別の階の部屋(約60坪)を買ったのね。内田さんは、その部屋に住んでいます。

 でも、内田さんにはこれまで三十数年間、私は1円ももらっていません。「何でお金をくれないのですか?」と何度も聞いたんですけど、「ねぇんだ。俺だって、あれば払うよ」の一言。何しろ、入る先から使っちゃうんですから。その反面、「こっちの借金を払っておいてくれ」とか平気で言ってくるんですよ。「あれだけ女の人を作って遊んでいるのに、どうして私にお金を無心するの」って聞いたこともあります。そうしたら「夫婦なら助け合うのが当り前だろ」。これが内田さんの決まり文句。いつもそう言ってますよ。ご飯を食べても私が払うとか、そういうことは間違ってる、と友達は言いますね。

 内田さんが越してきた最初の頃はマンションに足を運んでいました。掃除まではしていませんけど、とにかく内田さんの部屋は、ブランド品とか、モノで溢れかえっていて、足の踏み場もないくらいです。3月11日に地震が起きた後、1度部屋の写真を持ってきたんですが、地震の前と全然変わらない。あまりに雑然としていて、気が滅入るので最近は(内田の部屋へ)全く行かなくなりました。

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