爆竹テロに始まり事故死で幕を閉じた「花柳幻舟」の平成

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問題児の更生

 2度の服役ですっかり反逆の舞踊家というイメージが定着した彼女だが、もともとは旅芸人の家に生まれ、小学校を3年で中退。それ以来、「学校への疎外感」を抱え、95年に意を決して放送大学に入学した。一時は弁護士を目指したものの、禁錮以上の刑を受けた者は弁護士になれないと知り、断念。しかし、自身の経歴を踏まえ、「人生、いつだってやり直しができる」などのテーマで講演活動を行うようになったという。

 芸能リポーターの須藤甚一郎氏が解説する。

「大学卒業を祝う会には、作家や大学の先生、成田闘争の活動家ら300人ほどが集まった。彼女は大隈重信の銅像の格好で登場しましたよ。大学を出てからの晩年は、各地の学校から、問題児を更生させるための講演に呼ばれることが多かったみたい。メディアにはあまり出なくなっていたけど、本業の日本舞踊を弟子に教えることも続けていたようです」

 新天皇の祝賀パレードを目にすることなく、反逆のお騒がせ舞踊家は泉下の人となった。

週刊新潮 2019年3月14日号掲載

ワイド特集「人生は三寒四温」より

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